[第17回]初めての海外出張とトラブル対応


2018.11.20

9月に拙稿で紹介した講演について、読者の方から講演内容の続きが知りたいとのご要望をいただいたので、拙い講演内容を少しふり返ってみたい。今回は、『やればできる~<好奇心とハングリー精神>~初めての海外一人旅/問題発生(トラブル)はチャンス』のくだりに触れてみたい。

初めての海外一人旅

アメリカ出張はサバイバルの旅となった。新入社員導入教育で先輩社員の海外留学体験談を聞いてから「海外へ雄飛したい」との思いが膨らみ早速、英会話教材を購入した。そんな矢先に課長に呼ばれ「真野君、アメリカへ行ってくるか?」と言われ、「行きます」と答えたことからことは始まった。

課長は「ホテルとリムジンを予約しておくから、後は一人で行ってね」と。ロサンゼルス空港に降り立ち、ホテルまでのリムジンを公衆電話で呼ぶことになった。公衆電話の受話器を上げると、発信音が聞こえたので、ダイヤルすると、オペレータが出てきて、何やら早口で言っている。これが聞き取れず、何度も繰り返し、ようやく聞き取れたことは良き思い出だ。

開発していた電子交換機の商用モデルが完成し、全米の十か所程度で試行してもらうことになり、その技術サポートのために、入社2年目であった私が約2カ月間一人での長期出張となった。
その電子交換機のハードウェアやソフトウェアは全て新たに開発したもので、私はハードウェアのほんの一部を担当していた。そのため、ソフトウェアやハードウェアのほとんどは担当外という状況だったが、アメリカ現地法人の人はそんなことはお構いなし。日本から専門の技術者がやってきた。何でも知っているはずだとの感覚で質問してくる。その都度、冷や汗をかき、日本へ問い合わせて回答することが続いた。その頃は未だメールもなく、FAXと電話だけが頼りだった。

しかし、これが役にたった。電子交換機の全体機能を知る機会となった。自らお願いして、実際に使われている全米各地の現場へ直接、足を運んだ。サンフランシスコ、フェニックス、ダラス、ニューヨークなどへ一人で出かけていき、その使い勝手や使われ方などを見て聞く機会となった。

その時の経験から、海外出張はできるだけ一人で行った方が勉強になる。日本人と連れ立って出張すれば、海外へ行っても、日本語を使う機会が多くなる。一人旅では、そうもいかない。すべて英語で話さねばならない。これが英会話の自信にもなった。

問題発生(トラブル)はチャンス

製品出荷間際で設計した回路がどうしても動かないことがあった。その時ばかりは、先輩と徹夜の連続で、先輩が私の寮の部屋に泊まりに来て、寝食を共にしたことも良い思い出だ。その時は苦しかったが、そのおかげで、自分の設計した回路だけでなく、他の回路も、突っ込んで見る機会となった。トラブルがなければ、そこまで深く回路を見直すことはなかった。

そのトラブルが起こったのは出荷間際だったため、製造ラインでは今か今かと待っている。とうとう「いつまで、待たせるんだ」と矢継ぎ早の催促が来て、こちらは針の筵状態だ。そんな時に上司が防波堤になってくれていた。課長は、その催促に対して、「こちらのエースを送り込んでいるんだから、これ以上どうしようもない」と説得してくれていたと後から聞いた。その話は、心に沁みた。「そうまで言われたら頑張らねばならない」と力が入ったことは言うまでもない。

また、こんなこともあった。米国へ出荷した製品のトラブルが発生した。そんな時、課長に呼ばれ、「真野君、明日アメリカへ行ってくれないか?」と言われた。「えっ、明日ですか」とさすがに聞き返したが、翌日飛び立った。
その時ばかりは、トラブルの原因を突き止めるまでは帰らない覚悟で、3週間あまり休日返上で対応した。そのおかげで、米国のデジタル回線事情を深く知る機会となった。原因探求に根を詰めていた時に、現地に駐在していたAさんが自宅に呼んでくれ、Aさん家族と一緒に食事をした時には、人のやさしさと温かさが心に染みた。今でもAさんに会うたびに、感謝の思いを伝えている。

このように『やればできる』のくだりで伝えたかったことは、目の前のチャンスをつかむのは自分であり、仕事上でのトラブルや大変だと思うことは誰でも避けたいものだが、ふり返ってみると実は大きな財産や対応力となって、その後の仕事へ活きていることだった。

東芝デジタルソリューションズ株式会社
インダストリアルソリューション事業部 HRMソリューション部
真野 広

※記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2018年11月時点のものです。


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