特別連載シリーズ|第3回
ゼロトラストとエアレスが選ばれた理由
― 技術ではなく、前提が壊れた話 ―
一見、関係のない2つが「同じ話」になる瞬間。
現場が頑張り続けるほど、確認は形式化し、判断は属人化し、「想定外」が日常になっていく。だから問うべきなのは「誰がミスしたか」ではなく、「なぜ、そこが頑張る前提になっているのか」という役割再設計の視点だった。
ここで次の問いが自然に立ち上がる。本当に「人が頑張る前提」を捨てた設計は、現実に存在するのだろうか。答えは「存在する」しかもそれは、まったく違う世界で、驚くほど似た発想として選ばれている。それが、ゼロトラストとエアレスタイヤだ。
ゼロトラストはITセキュリティの話であり、エアレスタイヤはモビリティの話だ。普通であれば、同じ文脈で語られることはない。しかし両者には、はっきりとした共通点がある。それは「高度だから」「新しいから」選ばれたのではないという点だ。どちらも、従来の前提が壊れた結果として選ばれている。つまりこれは、技術選択の話ではなく、設計判断が転換した話なのである。
ゼロトラストが捨てた「前提」。
従来のセキュリティには、分かりやすい世界観があった。内側は安全で、外側は危険。だから境界を守ればよい――いわゆる境界型の考え方だ。この前提は長く機能してきた。社内ネットワークは守られた場所であり、外部から侵入させないことが最重要とされる。VPNなどの手段で「中に入れて」しまえば、あとは信頼できる存在として扱えばよかった。
しかし、この前提は崩れた。クラウド化、リモートワーク、外部サービス連携が進み、業務は社内ネットワークの外へ広がった。境界は曖昧になり、侵入は外部からだけでなく、認証情報の窃取や内部端末の感染、権限悪用といった形でも起きるようになった。そこでゼロトラストが選んだのが、「信用できる場所は存在しない」という前提への置き換えだ。だからこそ、常に検証するという設計が採られた。
重要なのは、ゼロトラストが人を疑っているわけではないという点だ。「人がミスしないように頑張る」設計から、「ミスしても破綻しない」設計へ、責任の置き場所を移した。そう捉えたほうが、本質に近い。
エアレスタイヤが捨てた「前提」。
エアレスタイヤもまた、前提を置き換える技術だ。空気入りタイヤは長い間、最適解だった。乗り心地が良く、静粛性が高く、軽量で安価。空気という見えないバネは、クルマの快適性を支えてきた。ただし、その成立条件は明確だった。空気が適切に入っており、定期的に状態を確認でき、異常に気づいて対処できること。つまり、「人が管理する」ことが前提になっている。
ところが、無人化や自動化、長時間稼働が前提となる世界では、この前提が急に重くなる。配送や構内搬送、インフラ点検、サービス運用など、「止められない」現場ほど、パンクや空気圧管理は単なる不便ではなく、停止リスクになる。
そこでエアレスタイヤは、こう考えた。空気を管理できる前提が壊れるなら、空気を前提にしない構造にしてしまおう、と。ここでも目的は「すごいタイヤを作る」ことではない。管理を人に委ねる構造そのものをやめることにある。
共通点は「性能」ではなく「前提の放棄」。
ここまで見てくると、ゼロトラストとエアレスタイヤの共通点ははっきりする。どちらも、何かを強化したわけでも、何かを付け加えたわけでもない。やったことは、驚くほどシンプルだ。信用を前提にするのをやめ、人の注意力を前提にするのをやめ、正常運用を前提にするのをやめた。そしてその代わりに、壊れること、失敗することを前提に設計を組み替えた。
興味深いのは、こうした設計判断が、どこからでも生まれたわけではない点だ。ゼロトラストが必要になったのは、境界が溶け、侵入が前提となり、「中だから安全」と言えなくなったからだ。エアレスタイヤが注目されるのは、止められない運用や無人化、メンテナンス機会の減少によって、「空気を管理する前提」が崩れたからである。
共通しているのは、失敗の影響が大きく、止められず、人手に頼れず、「正常」が続く保証がないという条件だ。こうした条件が揃う場所から、前提は先に壊れる。だからこそ、設計も先に変わる。
次に「空気」を捨てるのはどこだろうか?
ここまでの話は、タイヤやセキュリティに限らない。むしろ、「信用を前提にしない設計」が次世代インフラの共通言語になっていくとしたら、次に空気を捨てるのはどこか、という問いを強く促す。
それは、エネルギーかもしれない。医療かもしれない。行政手続きかもしれない。あるいは、AIを使う私たち自身の仕事の仕方かもしれない。(第4回に続く)
特別連載シリーズ|全4回
信用できることを前提にした設計は、長く社会インフラを支えてきました。しかし、ITやセキュリティ、運用環境が高度化、複雑化する現在、その前提自体が問い直されています。本特集は、エアレスタイヤとゼロトラストを軸に、信用に依存しない設計思想が次世代インフラにどのような意味を持つのかを整理する全4回の連載です。
ミニQ&A
Q1. なぜ「ゼロトラスト」と「エアレスタイヤ」を並べて語るのですか?
A. 分野は異なりますが、どちらも「信用できる前提」を捨て、破綻を前提に設計を組み替えた技術だからです。共通点は性能ではなく、設計判断にあります。
Q2. これは新しい技術を推奨する話ですか?
A. 技術の推奨ではありません。重要なのは製品名ではなく、「人に頑張らせる前提」から「構造で支える前提」へ移る設計思想です。
監修:
株式会社 東芝
セキュリティ・自動化システム事業部 紙幣処理機器・セキュリティシステム技術部
加藤 雅一

