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変化の激しい世の中にあって、複雑化する課題の解決に取り組む社会や企業では、量子関連の技術が注目されています。量子現象を利用した本格的な量子コンピューターの実現には時間がかかると考えられている中で、東芝では、量子現象から着想を得た量子インスパイアード最適化技術に取り組んでいます。これは、膨大な選択肢の中から最適な解を導き出す「組合せ最適化」に対応する当社独自の技術で、既存のコンピューターを使って高精度な近似解(良解)を短時間で得られる量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」として提供しています。ここでは、量子インスパイアード最適化技術について、連載でご説明します。

第1回から第4回の連載記事では、量子インスパイアード最適化技術の目的や概要、応用について総合的に解説しました。続く第5回と第6回では、特にリアルタイムあるいはミッションクリティカルと形容されるシステムへの、量子インスパイアード最適化技術の適用をテーマに説明しています。リアルタイムシステムを構成するためのキーデバイスであるFPGA(Field-Programmable Gate Array:現場プログラム可能ゲートアレイ)を解説した第5回に続き、今回はFPGA実装したSQBM+のリアルタイムシステムへの応用について、車載と金融の分野を例に解説します。


リアルタイムシステムとは?


リアルタイムシステムと聞くと、皆さんはどのようなシステムを思い浮かべますか?

自動車の運転支援システムや金融の自動取引システム、航空などの管制システム、監視カメラの人物認識システム、人工呼吸器をはじめとする医療システムなどは、すべてリアルタイムシステムの一例です。学術的には、「決められた時間までに処理を完了しなければならないという時間的制約のあるシステム」と定義されています(図1)。この定義は「求められる制限時間よりも、応答時間が短いことを保証する必要のあるシステム」とも解釈できます。例えば、走行中の自動車の周辺環境や株式市場の最良気配値情報は、刻々と変化します。リアルタイムシステムは、この刻々と変化する環境や情報に対して適応する、あるいはそれを制御することを目的とするシステムであるとも考えられます。

またリアルタイムシステムという言葉は、一般的に「非常に高速なシステム」を連想させます。しかし学術的な定義には、「応答時間が◯◯秒以下であること」といった速度に関する要件は含まれていません。実際には、用途に応じて要求される応答時間(時間的制約)は、大幅に異なるのです。

エンジニアリングの現場では、「高速リアルタイムシステム」と呼ばれるものがあります。これは、数十ミリ秒以下の応答時間を保証するシステムを指すことが多いです。例えば、一般的なビデオカメラの撮像速度は30FPS(Frames Per Second)です。これは1秒間に30枚の画像を撮影していることを示しており、約0.033秒(33ミリ秒)ごとに1枚の画像を取得する速度に相当します。もし撮像されたすべての画像に対して分析を行う場合には、分析に含まれる処理を少なくとも33ミリ秒以下で完了する必要があるということになります。また、東京証券取引所における株式の最良気配値の変化は、平均的には多くの銘柄で数十ミリ秒に1度ですが、1ミリ秒をはるかに下回る時間で値が変化するラッシュという現象が頻繁に発生します。ラッシュは、例えば特定のニュースや特定の売買行動の後、さまざまなトレーダーからの売買注文が連鎖的に続いた結果です。このような注文行動には、1ミリ秒を下回る応答時間を持つ自動取引システムが関与しています。これらのシステムと比較して人間の場合、目や耳から入った情報に対して反応する応答時間は300ミリ秒程度(アスリートは200ミリ秒程度)といわれ、また脳を介さない脊髄反射では100ミリ秒弱といわれています。このように、高速リアルタイムシステムは、人間よりもずっと高速な応答を実現するシステムともいえます。

さらにリアルタイムシステムは、非常に高速であることと同時に「エッジシステム」であることも連想させます。エッジ(システムもしくはコンピューティング)は、クラウド(システムもしくはコンピューティング)の対義語として、よく使われる用語です。現在クラウドへアクセスする手段のひとつである一般的なインターネットにおいては、通信の遅延時間(レイテンシー)は数十ミリ秒です。低遅延性が重要となるWEB会議やオンラインゲームでの理想的な遅延時間は15ミリ秒以下とされていますが、現状、それは多くの場合に達成できていません。

加えて、現在のインターネットはその仕組み上、遅延時間の上限(最悪)値を保証することができません。このため、特に高速リアルタイムシステムは、クラウドへのアクセスを必要とせず自律的に判断を行うエッジシステムの構成をとることが多いのです。


組合せ最適化リアルタイムシステム


この記事では、組合せ最適化を特徴とするリアルタイムシステムについて説明していきます。筆者らのこれまでの経験上、この「リアルタイムシステムの中で組合せ最適化」というコンセプトは、多くのエンジニアや研究者に、そして特にリアルタイムシステムの専門家や数理最適化の専門家に、しばしば驚きをもって受け止められています。というのも、組合せ最適化は現実的な時間での計算が困難な問題であることから、たとえリアルタイムシステムの機能性を大きく向上させる可能性があったとしても、速度に関する要件を満たすことが難しく、これまで実現した前例がほとんどなかったからです。

従来の高速リアルタイムシステムの多くは、時間的制約の厳しさから、比較的単純な条件判定(トリガー判定)に基づき、あらかじめ決められた応答を実行します。このような、あらかじめ定められた1つの応答行動(選択肢は1つ)をいつ実行するのかを見張っているシステムは、番犬型(Watch dog型)ともいわれます。このシステムを、トリガー条件と応答行動のペアの数だけ用意することで、複数の応答行動を取れるようにはなります。しかし、応答行動の選択肢が膨大になればなるほど、膨大な数のシステムを用意する必要が生じてしまいます。

これに対して、エッジシステムに組み込み可能で高速な組合せ最適化の技術があれば、「1台のシステムで、変化し続ける外部環境に応じて、その都度、膨大な選択肢の中から最適なものを選択し、即応行動をその場で取るリアルタイムシステム」を実現できます。この瞬時適応性と呼ぶべき機能を実現するシステムを、以後、「組合せ最適化リアルタイムシステム」と呼びます(図2-左側)。東芝の量子インスパイアード最適化技術は、まさにそのようなシステムを実現する要件を備えているのです。


量子インスパイアード最適化技術に求められる3つの要件


組合せ最適化リアルタイムシステムを実現するために、量子インスパイアード最適化技術に求められる要件を整理します(図2-右側)。

第1に、組合せ最適化の求解時間が、短時間でかつ固定されていることです。FPGA実装したSQBM+は、従来の手法よりもずっと短い求解時間を実現できることを、第5回で説明しました。ただしそれを、リアルタイムシステムに応用するときには、求解時間の上限(最悪)値の保証が必要となります。より理想的には、求解時間がばらつきなく固定されていることが望まれます。東芝のシミュレーテッド分岐アルゴリズム(Simulated bifurcation Algorithm:SBアルゴリズム)は、解くべき問題に対応する相互作用を持つ多体振動子系(多体スピン系)の分岐現象を含む時間発展過程をシミュレートし、良解を探索します(図2-右上グラフ)。分岐現象が完了するまでの過程を何回の時間発展ステップでシミュレートするのかは、用途に応じて事前に決定できます。このため運用の段階では、1回の求解に必要な時間は変動しません。

第2に、組合せ最適化のモジュールを、ほかのシステムモジュールと一緒にエッジシステムに組み込めることです。これは、システム全体の遅延を短くするために求められる要件の1つとなります。FPGA実装したSQBM+の実体は、SBアルゴリズムを超並列処理する専用ハードウェア回路である(第5回で説明)ため、エッジシステムに組み込むことが容易です。この点は、冷却器やレーザーといった特殊な付帯装置を必要とする量子コンピューターやほかの量子インスパイアード技術との違いになります。

第3に、組合せ最適化のモジュールには、用途に合わせたインターフェースを持たせられることです。2つ目同様、システム全体の遅延を短くするための要件となります。図1の例のように、リアルタイムシステムは自己完結型のシステムではなく、外部環境から情報を取り込み、その外部環境に対して具体的な応答行動を取るシステムです。このため、外部環境との入力および出力のインターフェースが必ず存在します。

リアルタイムシステムでは、情報処理にかかった時間ではなく、インターフェースとモジュールの間、あるいはモジュール同士の間での情報の伝達における遅延が、ボトルネックになることがあります。そこで情報の伝達の遅延を最小化できるように、組合せ最適化のモジュールには、用途に合わせたインターフェースを持たせる必要があるのです。FPGA実装したSQBM+の場合、各システムに専用のインターフェース回路を設計し、それとSBアルゴリズムの専用ハードウェア回路を直接接続することが可能です。

※多体振動子系(多体スピン系)の分岐現象を含む時間発展過程
スピンとは、量子力学における粒子の内部自由度(角運動量)のこと。その状態は ↑または↓の2つであり、-1と1の二値の情報に対応させることができる。多数(N個)のスピンが存在し、そのスピン同士が相互作用するモデルが多体スピン系である。解きたい組合せ最適化問題の解が、多体スピン系の最小エネルギー状態に対応するように、スピン間の相互作用の係数を決めることができる(問題の多体スピン系へのマッピング)。東芝が開発したSBアルゴリズムは、スピンを-1から1の範囲で振動する振動子で表現し、その多体振動子系の時間発展の過程をシミュレーションすることで、最小エネルギー状態(つまり解きたい問題の解)を探索する。各振動子は、0付近の位置からスタートし、徐々に-1もしくは1の一方に分かれていく(分岐現象)。各振動子は互いに相互作用しているので、多くの振動子は非常に複雑な振る舞いを示す(図2-右上グラフ)。


車載と金融の分野の組合せ最適化リアルタイムシステムの具体例


組合せ最適化リアルタイムシステムの具体例の中から、論文として発表されている車載システムと金融システムの概要を紹介します。

まずは、車載分野です。車載の自律制御システムでは、センシングから認識、計画、制御までの一連の処理を周期的に繰り返します。一連の処理は1秒間に10回以上の頻度で繰り返され、これはシステム全体のレイテンシーが100ミリ秒以下である必要があることを意味します。FPGA実装したSQBM+によって、この要件を満たしつつ、多体物体追跡モジュールの機能を向上させました(図3)。

物体の追跡は、現ビデオフレームから車体や人物を検出した後に実施されます。その追跡の中で重要なのは、現ビデオフレームから検出された物体(検出物)とシステムが現在追跡中の物体(追跡物)のマッチング処理です。通常時には検出物と追跡物には一対一の対応関係があることが条件とされますが、物体同士が交差したり、ある物体がほかの物体を追越したりしているとき(図3-(k-1)フレーム時が該当)には、1つの検出物が2つの追跡物と一致していると判断したほうが自然な場合があります。

通常の一対一の対応関係に加えて、このような一対多の対応関係も含めた選択肢から最ももっともらしい1つを選ぶ問題は、難しい組合せ最適化問題となります。論文[1] [2] では、車載可能なFPGAボードにSQBM+を実装し、SQBM+のマッチング処理によって初めて実現できる高い機能性を持つ物体追跡処理を、1秒間に20回以上の頻度で実行できることを実証しています。

次に、金融分野における具体例を紹介します。東京証券株式市場において、多数の株式の最良気配値の変化を常に監視し、組合せ最適化に基づいて、売買注文を行うタイミングの判断、およびその際の売買銘柄を決定するシステムを実証しています(図4)。多数ある取引可能な銘柄の中から、期待リターンの最大化と期待リスクの最小化の観点で設計された評価値を最大化する、より少数の取引銘柄(ポートフォリオ)を選び出す「離散ポートフォリオ最適化問題」を考えます。ここで、銘柄間にトレードオフ関係のような相互依存関係(2次の項)がある場合、その問題は難しい組合せ最適化問題となります。

論文[3] では、この二次離散ポートフォリオ最適化問題を最良気配値が変更される度に解くことを特徴とする高速取引システムを報告しています。そこでは、システム全体のレイテンシーが164マイクロ秒(0.164ミリ秒)で、発行した注文が意図した価格と数量で約定することを実証しています。また、組合せ最適化を解く回数は、1日に約500万回以上になります。そのようなシステムを42日間(252時間)稼働させ、その間に誤動作が観測されなかったことも報告しています。

今回は、組合せ最適化に基づく合理的な判断を行う高速リアルタイムシステムについて、車載・金融システムの事例を挙げて説明しました。私たちは、SQBM+を適用することで、既存のリアルタイムシステムの高機能化だけでなく、さまざまな分野で新たな価値の創造にチャレンジしていきます。ぜひご期待ください。

 

参考文献
[1] 大矢, 藤本, 濱川, 山崎, 辰村, “量子インスパイアード車載プラットフォームの提案と試作,” 自動車技術会論文集 54巻6号, pp. 1216-1221 (2023). https://doi.org/10.11351/jsaeronbun.54.1216
[2] K. Tatsumura, Y. Hamakawa, M. Yamasaki, K. Oya, H. Fujimoto, “Enhancing In-vehicle Multiple Object Tracking Systems with Embeddable Ising Machines,” arXiv:2410.14093 (2024). https://doi.org/10.48550/arXiv.2410.14093
[3] K. Tatsumura, R. Hidaka, J. Nakayama, T. Kashimata, and M. Yamasaki, “Real-time Trading System based on Selections of Potentially Profitable, Uncorrelated, and Balanced Stocks by NP-hard Combinatorial Optimization,” IEEE Access 11, pp. 120023 - 120033 (2023). https://doi.org/10.1109/ACCESS.2023.3326816

辰村 光介(TATSUMURA Kosuke)

株式会社東芝 総合研究所 AIデジタルR&Dセンター コンピュータ&ネットワークシステム研究部 フェロー
東芝デジタルソリューションズ株式会社 ICTソリューション事業部 データ事業推進部 新規事業開発担当 フェロー


東芝に入社後、ドメインスペシフィックコンピューティングに関する研究開発に従事。現在は量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」に関する研究開発および事業開発に取り組んでいる。

山崎 雅也(YAMASAKI Masaya)

株式会社東芝  総合研究所 AIデジタルR&Dセンター コンピュータ&ネットワークシステム研究部  エキスパート
東芝デジタルソリューションズ株式会社 ICTソリューション事業部 データ事業推進部 新規事業開発担当  エキスパート


東芝に入社後、TV向け映像エンジンの高画質化回路設計開発および高位設計によるFPGA高速回路実装に従事。現在は量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」に関する研究開発に取り組んでいる。

  • この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2025年6月現在のものです。
  • この記事に記載されている社名および商品名は、それぞれ各社が商標または登録商標として使用している場合があります。

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