デジタルで豊かな社会の実現を目指す東芝デジタルソリューションズグループの
最新のデジタル技術とソリューションをお届けします。

変化の激しい世の中にあって、複雑化する課題の解決に取り組む社会や企業では、量子関連の技術が注目されています。量子現象を利用した本格的な量子コンピューターの実現には時間がかかると考えられている中で、東芝では、量子現象から着想を得た量子インスパイアード最適化技術に取り組んでいます。これは、膨大な選択肢の中から最適な解を導き出す「組合せ最適化」に対応する当社独自の技術で、既存のコンピューターを使って高精度な近似解(良解)を短時間で得られる量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」として提供しています。ここでは、量子インスパイアード最適化技術について、連載でご説明します。

第1回では、量子コンピューターにおける2つの方式(ゲート方式とイジングマシン方式)と、それに対する量子インスパイアード最適化技術の位置づけや構造について解説しました。第2回では、この技術で重要となる「分岐」と「高速化・高精度化」、さらにはこの技術の全体像を、そして第3回では、「組合せ最適化問題」について説明しました。連載の最後となる第4回では、創薬や金融などの分野における量子インスパイアード最適化技術の適用について説明します。


量子コンピューターの社会実装と適用領域


現在さまざまな分野で、量子コンピューターの適用に向けた検討が進められています。量子コンピューターには、高性能な計算力を発揮し、従来のコンピューター(古典コンピューター)ではできなかった新しいアプリケーションを実現することが期待されています。しかし、今はまだ、量子コンピューターの活用に適した分野や問題、実用化した際の課題がどのようなものなのかを完全には見極められていません。そのため、多くの企業や大学が、研究過程で見えてきた量子コンピューターの特性を踏まえつつ、ときには新しいアルゴリズムを開発しながら、量子コンピューターの社会実装に向けた取り組みを進めています。

量子コンピューターの適用が期待されている分野には、金融や創薬・化学、エネルギー、交通分野などの社会課題の解決があります。さらにこれらを組み合わせたカーボンニュートラルの実現への貢献も期待されています。これらは、膨大な組み合わせを計算しなければ解けないと考えられている問題です。また業種を横断したニーズとして、機械学習やシミュレーション、最適化などの処理の高度化も期待されています。一方、暗号の解読などが可能となることから、セキュリティの脅威になるともいわれています。内閣府による「量子未来社会ビジョン」では、「生活サービス」や「安全・安心」などを含めた幅広い領域で、量子技術を活用するイメージが示されています(図1)。

今後、量子コンピューターの社会実装が進展すると、量子コンピューターを生かした新しいアプリケーションが新しい産業を生み出し、それに伴う新しい社会の課題が生まれます。これに並行して、カーボンニュートラルやサーキュラーエコノミー、あるいは日々発展するAIなどからも、次々と新しい課題が生まれてくるでしょう。こうして、量子コンピューターには、今はまだ見えていない、思いもよらないさまざまな問題を解くことが求められるようになります。量子コンピューターは、そういう時代により一層、力を発揮することになるはずです。量子コンピューターがより求められる時代に向けて、今の段階から想像力を働かせ、適用領域やアプリケーションを考えておくことが重要です。


イジングマシンが有効なユースケースの探索


量子コンピューターには、ゲート方式とイジングマシン方式があることを、第1回で説明しました。ゲート方式は、現在あるのは小規模なハードウェアのみで、確立しているアルゴリズムも限られています。そのため、まだ実用レベルではなく、将来に向けて化学や金融などの分野を中心に、アプリケーションを模索している状況です。

一方のイジングマシン方式は、SQBM+などの量子インスパイアード最適化技術の活用により、実用的な規模の問題を扱えるようになったことで、さまざまな産業分野においてアプリケーションの探索が行われています。当面は最適化への適用が中心になりますが、例えば、分析するべきデータや対象物の特徴・特性を定量的に表した特徴量の選択における性能向上や、物質シミュレーションの効率化を目指して、機械学習やシミュレーションにイジングマシンを活用する研究も進んでいます。これらへの適用は、大きな経済効果をもたらすと予測されており、今後は最適化以外への応用に向けた検討が進むものと考えられます。

東芝の量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」においても、実用での適用に向けて、さまざまなユーザーやパートナーと連携し、ユースケースの探索と事例の蓄積を行っています。ユースケースの探索において、SQBM+の適用性を評価するまでに、次の3つの検討を行います。

 

(1)SQBM+を適用できる問題かどうか

ユースケースの探索においては、まずSQBM+を適用できる問題なのかどうかを判断する必要があります。最初から明らかにSQBM+を適用できると判断できる問題は多くはありません。問題についてある程度考えを進めて初めて、組合せ最適化問題を含む問題であるかどうか、ユースケースの候補であるかどうかがわかるのです。

第3回で挙げた「交通分野における自動車の走行ルートを最適化する」という例を使って説明します。この例で実現したいのは、「道路の渋滞を減らすこと」です。これを実現するためには、道路の幅を広げたり、交差点を立体交差にしたり、時間帯に応じて課金したりするなどさまざまな解決策が考えられます。それらの解決策の中から、例えば「各自動車の走行ルートをコントロールする」という解決策を選択します。その上でこれを実現する手段をいろいろ考え、ある程度具体的に定式化を試みた後に、組合せ最適化問題を解くことで問題が解決できそうだ、ということが分かってきます。つまり、最初に「道路の渋滞を減らしたい」という要求が与えられた時点では、これがSQBM+のユースケースになる問題なのかどうかはわからず、ある程度検討し、設計してみて初めてユースケースになりそうなことがわかるのです。

 

(2)SQBM+を適用することが適切かどうか

組合せ最適化問題を解くことで問題を解決できる、すなわちSQBM+で解ける問題であることがわかっても、それだけでは不十分です。SQBM+で解くことが最も良い選択肢であるかどうかを考える必要があります。

例えば、問題の規模が小さい場合は、SQBM+で解くまでもなく、これまであった手段で解けば十分なケースがあります。自動車の走行ルートの例でいうと、コントロールする対象となる自動車の数が少ない場合は、SQBM+を適用しなくても最適化を計算できる可能性があるでしょう。

それ以外にも、線形計画問題や巡回セールスマン問題など、長年にわたり研究されてきた問題の中には、すでに有効なアルゴリズムが見つかっているものがあります。このような場合には、有効とされる特定のアルゴリズムを使用したほうが、より高速に、高精度に求解できることがあります。SQBM+は、一般的なQUBOの範囲では高速です。しかし、経験上、QUBOの形にする前の問題設定の時点で、個別の工夫が有効な、特別な条件がある場合には、その条件を活用した手法のほうが有効となることが多いようです。

※QUBO(Quadratic Unconstrained Binary Optimization):二次制約なし二値最適化を意味します。

また、問題そのものはSQBM+に適していても、条件を多少変えることで、ほかの高速な解法を適用できる場合もあります。条件の変更が問題の解決に影響を与えない程度の場合には、SQBM+を適用するまでもないと総合的に判断し、ほかの手法を選択することもあります。

SQBM+は、最適解に近い解(準最適解)を高速で見つけることが得意です。準最適解でもよいので解の候補を高速で見つけたい場合や、準最適解を大量に得たい目的に対して、SQBM+は非常に有効な手段になります。一方で、確実に最適解を知りたい場合には、以前からある最適化ソルバーが適している場合もあります。

 

(3)システムとして機能するかどうか

SQBM+を適用することの可否や適切さを検討した後は、SQBM+の適用がシステムにとって意味があるのかどうか、そしてシステムとして適切に機能するのかどうかを検討する必要があります。

多くのユースケースでは、SQBM+だけで問題を解決することはできません。ユースケースはいくつかのステップで構成され、その中にSQBM+による組合せ最適化のステップが含まれます。そのため、SQBM+以外のステップも含めて、システム全体として意味のある処理になっていることを確認する必要があります。システム全体の中で、SQBM+が実行する部分が性能上のボトルネックになっている場合には、SQBM+の高速性が生かせます。しかし、ほかの部分に遅い部分がある場合には、SQBM+の部分だけを高速にしても全体としてはあまり意味がないかもしれません。また、SQBM+とその前後のステップの間を円滑につないだり、呼び出し方の工夫をしたりして、システムとして適切に機能させる設計が必要となる場合もあります。


創薬分野での適用:アロステリック創薬


現在、SQBM+のユースケースを探索している分野の一つが、創薬の分野です。

創薬は、研究開発に積極的で、ITの活用が期待されている分野です。特に量子コンピューターには、HPC(High Performance Computing)やAIと組み合わせて創薬のプロセスを飛躍的に効率化し、画期的な新薬を開発することが期待されています。現在、私たちは、創薬のスタートアップ企業である株式会社Revorfと共に、「アロステリック創薬」へSQBM+を適用することに取り組んでいます。

薬は、体を構成する多種多様なタンパク質の中から、病気の原因となっているタンパク質に作用して効果を発揮します。これまでは、病気の原因であるタンパク質の活性部位に直接結合して作用する化合物(反応物)を見つけ出すことで、創薬が進められてきました。これにより、反応物を見つけやすい部位への創薬が進む一方で、見つけにくい部位に対する創薬は課題となっていました。

この課題解決に期待されているのが、タンパク質の機能を調節するアロステリック制御を利用した創薬手法(アロステリック創薬)です。これは、タンパク質の中において、病気の原因となっている部位ではなく、その部位の機能を変化させる部位(アロステリック制御部位)に結合する反応物を探して創薬を行うという新しいアプローチです(図2)。

※アロステリック制御:タンパク質は、必要なときに適宜機能を発揮するように調節因子により制御されており、この機構をアロステリック制御といいます。調節因子が結合する部位(アロステリック制御部位)を標的にすることで、創薬ターゲットの増大、特異性の高い薬剤の創出、さらには副作用低減の可能性など多くの利点があるため、アロステリック制御部位を同定する技術は新薬開発の成功確率を高めるカギとなる技術と考えられています。

このアプローチでは、タンパク質の中にある病気の原因となる部位に作用するアロステリック制御部位を特定する必要があります。このアロステリック制御部位を探すところにSQBM+による組合せ最適化の計算を用いることで、これまで実験的な手法で行ってきたアロステリック制御部位の探索を大幅に効率化することができました。さらに、従来の手法では見つけきれていない未知のアロステリック制御部位を探し出す取り組みも進めています。

SQBM+によるアロステリック制御部位の予測は、次の手順で行います(図3)。

(1)数理モデル化:対象となるタンパク質をグラフとしてモデル化する。

(2)定式化:グラフの中で病気の原因となる部位に対応するアロステリック制御部位が持つべき条件を考え、条件に基づいて目的関数を設定する。

(3)最大化/最小化:目的関数を最小にする頂点集合を求め、見つけた頂点集合からアロステリック制御部位を予測する。

現在は、この手順で探した部位が、本当にアロステリック制御部位なのかどうかを検証している段階です。今後は、この手法により見つけ出したアロステリック制御部位を標的にして、最終的に新しい薬の候補となる物質を見つけるところまで研究を進めたいと考えています。


金融分野での適用例:高速取引


SQBM+のもう一つのユースケースとして、金融分野における高速取引への適用例を紹介します。金融は、システムにより収益を上げてきた分野で、高度な金融商品の設計や、アルゴリズムトレード、高速取引などに先進のITが使われてきました。こうした中で、量子コンピューターは、新たな収益を生み出す超高速計算技術として注目されています。

金融市場では、有利な取引条件をほかの参加者より先に発見し、その取引を成立させることで大きな収益を上げられます。有利な取引条件の発見に組合せ最適化が有効な場合には、SQBM+を適用することができます(図4)。

ただし、高速取引システムとして有効に機能させるためには、SQBM+を適用する組合せ最適化以外の部分も含めて、システム全体を高速に動作させられるかどうかが重要です。

例えば、高速取引システムの処理にクラウドと連携する部分があると、クラウドとの間に通信が発生して遅延が生じ、取引上の優位性が失われます。そのためシステムには、市場との通信や、組合せ最適化による取引戦略の計算、取引の実行といった一連の処理をオンプレミスで行うことが求められます。処理の中で必須となる市場との通信で、遅延を極力抑えるためには、システムを市場に物理的に近いコロケーションエリアに置くほうが有利です。

こうした条件のもと、高速取引システムに量子コンピューターを活用することを考えます。現状の量子コンピューターには巨大な冷却装置が不可欠であり、この装置の設置に対応した専用のデータセンターが必要になるといわれています。そのため、量子コンピューターを含めた高速取引システム全体をコロケーションエリアに置くことは難しく、またシステムの一部をコロケーションエリアに置き、一部を専用のデータセンターに置く構成にした場合は、システム内で通信が発生して遅延することから、取引上の優位性を損なうことになります。

将来的には巨大な冷却装置が不要となり、システム全体をコロケーションエリアに置けるようになるかもしれません。しかしそれでも、量子による通信システムが実現するまでは、通信に、古典コンピューターによる処理が含まれます。このため、量子コンピューターによる処理と古典コンピューターによる処理の間をつなぐための処理が必要になります。一方、SQBM+のような量子インスパイアード最適化技術では、通信の部分も含めたすべての処理を古典コンピューターの中で実行できるため、量子と古典の変換処理は必要ありません。このことから、高速取引のように少しでも処理時間を短くしたいアプリケーションへの適用は、将来的にも有効なSQBM+のユースケースになると考えています。

現在、例えば、株式市場で値動きの相関が強い銘柄のペアを見つけて、一方の値動きにもう一方の株価が影響を受ける想定をもとに、連動して取引を行うなどのアイデアを試しています。こうしたアイデアを組合せ最適化問題として数理モデル化し、定式化の手順を踏んで、シミュレーテッド分岐アルゴリズムをFPGA(Field Programmable Gate Array)に搭載します。これを用いてオンプレミスで構築したPoC(Proof of Concept)システムが、東京証券取引所での取引に実際に活用できることを確認しました。現在はシステム実証ができた段階であり、今後、実用化に向けて、より良いリスク・リターン特性の戦略を開発していきたいと考えています。

https://www.global.toshiba/jp/technology/corporate/rdc/rd/topics/23/2312-03.html

連載の最後となる第4回は、SQBM+の実用化に向けて、その考え方や適用例を紹介しました。私たちは、SQBM+を、量子時代を切り開く魅力ある技術と考え、今後もさまざまな分野で実際に役に立つ応用にチャレンジしていきます。ぜひご期待ください。

岩崎 元一(IWASAKI Motokazu)

東芝デジタルソリューションズ株式会社
ICTソリューション事業部 データ事業推進部 新規事業開発担当 シニアエキスパート


東芝に入社後、オフィスサーバの基本ソフトウェア開発やミドルウェア開発、プラットフォームの商品企画に従事。現在は量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」の事業開発に取り組んでいる。

  • この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2023年12月現在のものです。
  • この記事に記載されている社名および商品名は、それぞれ各社が商標または登録商標として使用している場合があります。

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