新たな「量子革命」の社会実装に向けて求められる科学コミュニケーション(2/2)

イノベーション、テクノロジー

2026年1月26日

左:ソフトバンク株式会社 先端技術研究所 先端技術開発部 量子情報技術課 課長
科学コミュニケーター 博士(工学、公共政策分析) 嶋田 義皓氏
右:東芝デジタルソリューションズ ICTソリューション事業部 データ事業推進部 新規事業開発担当
参事 大友 雅裕

4.好評を博した大阪・関西万博の企画展「エンタングル・モーメント」の舞台裏

福本:
大阪・関西万博で量子暗号通信関連の展示をしたそうですが、展示内容や来場者の反応、苦労された点などがあれば教えて下さい。

大友:
大阪・関西万博のEXPOメッセ内で2025年8月14日から20日まで開催された「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」という企画展で、量子暗号通信の展示制作に協力しました。 

福本:
ここで芸術が出てくるのですね!

大友:
そうなんです。会場では量子などの科学と芸術を組み合わせた展示が行われ、我々は量子暗号通信の技術展示とアート展示を行いました。技術展示では量子暗号通信の技術の特性を表す言葉を用いて「よわい だから つよい 量子暗号通信」というテーマを掲げ、量子鍵を配送する仕組みを直感的に理解できる体験型展示を行いました。量子暗号通信で情報を運ぶために使われる光子をシャボン玉に見立て、ボタンを押してシャボン玉を割るインタラクションを通じて情報の盗聴を可視化し、シャボン玉が割れても鍵が安全に届くということを表現しました。

嶋田:
あれは本当によく考えられた展示でしたね。

大阪・関西万博 企画展 「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」 技術展示

大友:
当然のことですが、社内のプロジェクトメンバーで万博に出展した経験のある人は誰もいません。何歳ぐらいのどのような人達が来るのか全く予想がつかないし、来場される方の量子についての知識レベルも分かりません。ですがメインターゲットは「小中高生とその親」と設定して検討を進めました。というのも、この企画展は内閣府と文部科学省が主催で「量子ネイティブを育てる」という目的もあったからです。
それで誰でも何となく理解でき、光の粒の光子を模した状態として表現できるのは、シャボン玉ではないかというアイディアに辿り着き、それをメタファーにすることにしました。そこまでは良かったのですが、通信技術なのでシャボン玉に動きを付けなければなりません。光ですから早く動かすべきなのでしょうが、シャボン玉はそんなに早く飛ばないものなので漂うような動きにすると、今度は輪っかが飛んでいるようにしか見えなくなってしまって(笑)。
最終的にはシャボン玉の漂い方はもちろんのこと、質感や大きさ、割れたときの弾け方、音に至るまでデザイナーがとことん細部にこだわりました。そして、来場者には漂うシャボン玉を攻撃して割ってもらうことにし、攻撃用のボタンを置いてボタンが光ったら叩いて弾を発射するインタフェースを用意しました。

嶋田:
子供はボタンがあったら押すんです。このUIは正解なんですよ。

大友:
弾がシャボン玉に当たって割れると、数字の0か1が現れるようになっています。嬉しいことに、子供だけでなくゲームセンターで早打ちをしていた高齢世代も夢中になってやってくれました。ただし、この攻撃する役割は誰なのかというと、社会に置き換えると「悪い人」なのです(笑)。

福本:
それはハッカーのことですよね。

大友:
はい。子供たちにハッカー役をやらせて良いのか?という議論になりましたが、こんなに素晴らしいメタファーはそうそうないし、情報を伝える立場で光子を吐き出す役をしてもらっても、暇を持て余してしまいます。そこで攻撃係を悪人養成所と思われないように演出する工夫を凝らし、「安全に鍵が受け渡せる実験を、君たちも手伝って下さい。では、そこのボタンを押して!」というシナリオにしました。
比喩的に説明するためにシャボン玉を選んだことが最大のポイントですが、そこからアイディアが固まっていき、ゲーム感覚の楽しいコンテンツになりました。

福本:
来場者はどのくらいでしたか。彼らの反応についても教えて下さい。

大友:
会場全体には1週間で約6万人の来場があり、我々のブースでは親子連れや友達連れが一緒に入ってくれたこともあり5,000人を超える方々に体験していただきました。SNSでも「面白かった」と好評で、展示壁面に書いた「よわい だから つよい 量子暗号通信」というテーマへの反響もありました。メタファーのシャボン玉は光子の振る舞いのように弱いのですが、いくら攻撃されてもすり抜けて残ったシャボン玉で強い暗号鍵を作ることができるわけです。

嶋田:
技術の説明そのものとしても正しいですね。

大友:
ただ唯一、分かりやすくするために脚色を入れたのは、最初に鍵を用意したことですね。そうでないと最初にシャボン玉で何を送るのかが伝わらないままボタンを押してもらうことになってしまうので、関係者で検討した結果、この演出を許容することにしました(笑)。「鍵情報をシャボン玉に入れて送り、途中で打ち落とされても、いくつかの残ったシャボン玉でちゃんとした鍵が届く」という正しい結末になっているので、結果的には良かったと思います。
来場した方が展示内容を一緒に来ている方に解説していたり、どないなっとんねん?いつから使えるん?と興味を持って下さったりと、科学が好きな人達がこんなにいるのだなと感動しました。万博での展示は、動画での紹介や東芝の「CYBER MUSEUM」で再現したので、ぜひ体験してみて下さい。

【展示会レポート】 大阪・関西万博 「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」
「よわい だから つよい 量子暗号通信」

福本:
「芸術」のほうは、どのような展示をされたのですか。

大友:
アート展示はアーティストの後藤映則氏が、量子暗号通信での量子の性質に着想を得て表現したアート作品『multiplicity』を制作され、見えない通信の本質を芸術の視点から映し出していただきました。制作にあたり、本質を理解するため当社の技術者と何度となく技術内容の確認を行いました。0と1が重なった状態で、誰にも見られていない時は形を持たず、誰かと関わりあった瞬間に初めて姿を現す情報の在り方が制作のヒントになっています。

大阪・関西万博 企画展 「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」 アート展示
『multiplicity』 アーティスト 後藤 映則 (2025)

本展示は、内閣府総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「先進的量子技術基盤の社会課題への応用促進」(研究推進法人:QST)の研究テーマの一つ「量子セキュアクラウドを用いた高度情報処理基盤の構築」によって実施されました。

5.来たるべき量子社会に向けて重要となるのは、デジタル化やDXの取り組み

福本:
量子技術の社会実装に向けて、課題や重要だと考えられていること、量子技術を推進する東芝グループへの期待について教えて下さい。

嶋田:
一般の方向けの量子コミュニケーションでは、量子力学の不思議なところが面白過ぎるために、その部分にフォーカスした内容になりがちなのですが、量子社会に向けて今後やらなくてはならないのは、不思議の先にどう役立つか、どのような価値があるかを伝えることだと思っています。日本科学未来館でも、展示だけでなく、量子コンピューターや量子暗号が何に使えるか、社会の何に役立つのかを伝えるセミナーなどを交えたイベントを開催しています。
個人的な考えですが、量子技術が社会へ導入される前に、まずITの成熟と浸透が必要だと感じています。まだDXが十分進んでいない企業が多く、結果として量子技術を使える前提条件が整っていないという現実があります。やはりDXが進まないと、量子技術も適用できません。量子コンピューターで高精度な材料計算が可能になっても、例えば実験を重視する企業に提案しても、「計算は信用できない。実験したほうが早いよ。」と突き返されてしまいます。これは明らかに初手で間違えていると思います。まずはスーパーコンピューターでも良いので、計算によって実験を置き換えるアプローチが重要です。

大友:
たぶん創薬などの現場も同じような課題がありそうですね。

嶋田:
ええ。ですから量子コンピューターの導入以前に、もっとDXを進めておくとか、ある程度利用されているHPC(High Performance Computing)分野などに量子技術を適用していく必要がありますね。量子暗号通信については、特に国内企業ではサイバーセキュリティへの投資意識の低さなど、量子技術の導入とは別の意味でのハードルがあるのではないでしょうか。こういった基本的な考え方を変え、デジタル化を進めないといけません。
ですから企業のデジタル化、DXを進めるところでも、東芝さんに力を発揮していただきたいです。もちろん量子技術でも、暗号通信分野の先駆者として技術面で世界的に信頼を勝ち取っているので、凄く頼りにしています。

大友:
有難うございます。東芝では「DE(Digital Evolution)」⇒「DX(Digital Transformation)」⇒「QX(Quantum Transformation)」というデジタル戦略のロードマップを描いています。すぐにDXに対して手を出せない企業も多くありますので、まずはDEから始め、DXからQXへと移行する3ステップで考えています。東芝グループでは、従来からの社会インフラ技術を支えるフィジカルの技術力があるため、それらの既存技術とデジタル技術を掛け合わせていこうとしています。

嶋田:
DXだけでなく、AIをどうするかという議論も高まってきました。今ソフトバンクはAIへの投資を加速していますが、AIを活用するためにはデータが取れていないと難しいので、結局はDEやDXの問題に帰結すると思います。データがないところではAIは活用できないし、デジタル化されていないところではデータがないので、AIを動かしようがありません。

大友:
一般的なインターネットで出回るデータではなく、産業用途で企業内に溜まっているデータをちゃんと引き上げて使っていくことが大事ですね。

福本:
さらに言えば、そういった企業内のデータをバリューチェーンで活用するには、データを構造化し繋いでいく必要もあります。

大友:
東芝グループでも、そういった課題をAIによって突破できないかという話が出ています。AIと量子は棲み分けられていますが、相性は良い気がしています。

嶋田:
そこでよく言われているのは「AI for Quantum」です。AIはパワフルなので、量子技術を強化するために使えます。いずれ量子コンピューターのコード自体もAIで書ける時代になるでしょう。あとは逆アプローチとして「Quantum for AI」もあります。ただ現時点ではAI×Quantumの面白いアプリケーションや使い方があるかについては未知数ですね。

大友:
大雑把に言えばAIは需要予測が得意で、量子は人員のシフト管理のような膨大な計算が得意だと言われています。比喩的に説明すると「コンビニで明日おにぎりが何個売れる?」という話と、「それを作るために何人の従業員が必要?」という2つの計算をAIと量子が適材適所で担当するイメージですね。それが基本となり、さらに高度に使っていこうとすると、今後はお互いの中に存在する状態になるでしょう。機械学習モデルを量子で早く訓練したり、量子側の課題をAIでカバーしたりと、相互にクロスする世界観です。
ただ一般企業ではAIについては理解できても、量子についてはなかなか理解してくれない点が悩ましいところですね。その点、当社では量子を推進することをトップ自らがコミットしているので、恵まれた環境かもしれません。
AIの次は量子の波が来ると実感しています。それらを組み合わせると一気に革新的に広がるのではないかと期待しています。


嶋田 義皓氏
ソフトバンク株式会社 先端技術研究所 先端技術開発部 量子情報技術課 課長
科学コミュニケーター
博士(工学、公共政策分析)

2008年 日本科学未来館にて科学コミュニケーターとして展示解説や実演・展示企画に携わる。2012年 国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)戦略研究推進部でIT分野の研究プロジェクトの立案・管理・推進などに従事。2017年 JST研究開発戦略センター(CRDS)フェロー、量子コンピューターやAIを中心とする情報科学分野の国内外の技術動向調査・分析、研究開発戦略・科学政策を立案。2024年9月より現職。量子コンピューターの事業化に向けた研究開発を推進中。

大友 雅裕
東芝デジタルソリューションズ株式会社 ICTソリューション事業部 データ事業推進部 新規事業開発担当 参事

新規事業の開発を担当。量子関係では「量子インスパイアード技術」と「量子暗号通信」という事業開発のなかで、プロモーションをメインに遂行。直近では好評を博した大阪・関西万博の企画展「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」において、世界中の子供から大人まで万人にわかるような量子暗号通信の出展を支援した。


  • この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2026年1月現在のものです。

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