新たな「量子革命」の社会実装に向けて求められる科学コミュニケーション(1/2)
イノベーション、テクノロジー
2026年1月26日
量子力学が誕生して100年。現在第二の「量子革命」が進んでいると言われている。この革命のキーワードは「情報」。量子コンピューティングや量子暗号通信などに代表される新たな量子情報技術は今後、社会や産業に大きな価値や可能性をもたらすだろう。一方で、その普及のためには、科学技術に関する社会的な理解を深めるコミュニケーションも欠かせない。ソフトバンク株式会社の先端技術研究所に所属し、科学コミュニケーターとしても活躍する嶋田義皓氏と、東芝デジタルソリューションズで量子関連の新規事業開発とプロモーションを推進する大友雅裕に、本ウェブメディアアドバイザーの福本勲が話を聞いた。
ソフトバンク株式会社 先端技術研究所 先端技術開発部 量子情報技術課 課長
科学コミュニケーター 博士(工学、公共政策分析) 嶋田 義皓氏
1.第二の量子革命の到来
福本:
初めにお二人の自己紹介からお願いします。
嶋田:
ソフトバンク株式会社 先端技術研究所では、量子コンピューターの事業化に向けた取り組みを精力的に進めています。データセンターの中に量子コンピューターを入れ、それをお客様にインフラとしてご利用いただけるよう、クラウドサービスで提供することを目指し、そのために必要なアプリケーションの検証や事業性の評価に向けた研究開発を行っています。
大友:
私は東芝デジタルソリューションズで新規事業開発を担当しています。現在は東芝が持つ量子関連の先端技術を生かした量子インスパイアード技術と量子暗号通信の2つの事業開発をターゲットにしており、私はチームの中でプロモーションをメインに担当しています。直近では、大阪・関西万博の「エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術」という企画展で量子暗号通信の展示制作に協力させていただきました。
福本:
早速ですが、量子技術とはどのようなものなのか、その概要と昨今の技術トレンドについて解説していただけますか。
嶋田:
一番難しい質問が最初にきましたね(笑)。実は2025年に量子力学が誕生して100年目を迎え、「国際量子科学技術年」が制定されました。非常にホットなトピックスであることは皆さんご承知の通りでしょうが、量子力学は既に私たちの暮らしの中に入り込んでおり、半導体やレーザーなど、あらゆるIT基盤を支えています。量子革命は50年前に一回目が終わり、現在は二回目の革命が訪れているという認識です。
一回目の量子革命では、量子力学を使って半導体の性能をコントロールしたり、エネルギーをコントロールしたりする側面が強かったのですが、二回目の革命のキーワードは「情報」であり、その情報を伝えたり、処理したり、守ることに量子力学を使って、コンピューティングや通信を行うことが大きなテーマになっています。2022年のノーベル物理学賞が量子情報科学の研究成果に対して贈られ、ようやく市民権が得られたところですが、これからは、量子情報科学をどのように社会で活用していくのかという点が非常に重要になるだろうと考えています。
2.見えない現象だから説明が難しい!量子の価値を伝えるためにすべきこと
福本:
量子技術の活用を社会で広げていく上で、量子力学というものが抽象的で分かりにくい部分があり、何か日常感覚に照らし合わせて翻訳されないと理解が難しい印象ですが、その点についてどう考えますか。
嶋田:
極論を言うと、量子力学の性質に本当に対応する現実世界の現象が目に見えないため、説明は無理という話になってしまいます。例えば量子力学には壁を粒子が通り抜ける「トンネル効果」という現象がありますが、日常生活では誰も見たことがありません。それを科学館などで展示しようとしても作れないし、映像で表現しても誰も体験したことがないためよく理解できないのです。
大友:
確かに誰も体感できないことが最大の壁ですよね。物理と確率論、数学の狭間で、どう噛み砕いて伝えていくのかという話ですから。学術的に科学として保証されているから、皆さんも安心して話せているわけですが、きちんと伝わらないということは何か未開の地があるのかもしれませんね。
嶋田:
量子の重ね合わせの概念について、回っているコインを止めたら0か1かが初めて決まるという比喩がありますが、厳密に言えば量子力学の本質とは異なります。分かりやすいアナロジー(類推・類比)で表現すると、量子力学としては嘘になってしまうけれど、アナロジーでしか理解できないこともあり、そこが大変悩ましいところです。
マンジット・クマールの「量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突―」という本で読みましたが、量子力学が登場した当初も、あまりにも斬新過ぎたので、アインシュタインと量子力学の育ての親であるボーアが「光は波か粒子か」について論争になっても、ほかの物理学の研究者は相手にできなかったそうです。しかしその時、もう一人の量子力学の立役者になったプランク曰く、「科学の新発見が認められる時は、異説を唱えた人達がこの世を去った時だ」と。量子力学を理解させることが厳しい人達がいなくなった時に、当たり前のように量子コンピューターや量子通信がある世界で「真の量子ネイティブ」が生まれているのでしょう。だから無理に理解させなくても心配無用ではないかと思っています(笑)。
福本:
なるほど(笑)。では量子技術が発展していくと、社会や産業にどのような価値や影響をもたらすのでしょうか。
嶋田:
正直ベースで言うと、 これまで半導体のように手堅いところを押さえてきた量子力学に比べると、現在の量子技術は期待値が先行している側面があると思っています。今の足元の量子技術を見た時、その期待値までいくには、相当な飛躍が求められるでしょう。理論上の量子力学の性質をきっちり情報技術の中に入れるために、もっと多くの周辺技術を開発し、従来の計算機や通信の技術も磨いていく必要があります。
例えば、超高感度のセンシングを可能にする「量子センサー」は、周りを凄く静かにした環境で動かさないと感度が得られません。量子コンピューターも同様で、きちんと量子力学として振る舞うためには、まだ周りに磨くべきエレクトロニクスや光学技術が山ほどあります。通信も同じで、量子通信だけ提供するのではなく、やはり今ある通信サービスとマージしないと価値を発揮できません。これらは、量子技術との対比で「古典」と呼ばれることもありますが、まぎれもなく最先端の技術です。今の量子技術に対する期待の陰で、そういう努力が見えづらくなっている気がしますが、そこをクリアすれば伸び代は大いにあると思います。
福本:
必要性のコンテキストの提示が求められるということでしょうか。
大友:
それは鶏と卵の関係ですね。例えば現在当社が進めている量子暗号通信がなぜ必要かというと、将来量子コンピューターが完成することが大前提になっています。要するに、量子コンピューターが悪用されるリスクを想定して、今のうちに守る準備を進めています。
量子コンピューターはまだ開発過程なので、性能も規模も発揮できていないわけですが、一方で、東芝では量子コンピューターを研究する過程で見出したアイディアやアルゴリズムを、古典コンピューター上で擬似的に再現して利用する計算技術を開発し、量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」として提供しています。SQBM+は量子ハードウェアを使うことなく、膨大な選択肢から最適な組み合わせを見つける「組合せ最適化問題」を高速・高精度で解くことができます。既存のコンピューターで量子技術を利用しながら、量子コンピューティングの可能性を認めてくれる人たちがだんだんと増えてきているという実感があります。
東芝デジタルソリューションズ ICTソリューション事業部 データ事業推進部
新規事業開発担当 参事 大友 雅裕
3.科学コミュニケーションと、理解してもらうための分かりやすさのポイント
福本:
一般の方にも量子技術やその価値を理解してもらうためには、どうすればよいのでしょうか。
嶋田:
私の現在の立場としては、一般の方を啓蒙するだけでなく、社内向けに説明することも重要になります。前職の国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)で、量子コンピューターの動向調査のためにさまざまな企業を回っていると、研究開発部門が量子技術に関する取り組みを進める際に、経営層にその重要性や価値を理解してもらうのに苦戦していると聞いていましたが、現在のソフトバンク先端技術研究所に来て、それを実感しています。
我々は量子技術が純粋に面白いと思っている側面もあるのですが、経営側から見るとどれだけのビジネス価値があるのかが大事なのです。この研究開発を続けた先に何が待っており、それが本当にビジネスとしてお客様に価値を提示できるのかをしっかり説明しないといけません。その時に問題になるのは、量子技術の価値を理解してもらうのが難しいということです。我々の研究所ではAIや脳科学などの研究開発も行っているのですが、そういう分野と比べても、なぜか量子分野は理解されにくいと感じます。当然ながら当社の技術系の経営層ならば無線技術やネットワーク技術などには非常に詳しいのですが、それ以外の分野の中でもとりわけ量子技術はハードルが高いのではないかと思います。
大友:
人間に例えられるかどうかが一つのポイントかもしれません。AIは、人間の分身で英知を集めた技術という説明だけでイメージが自然に湧いてきます。脳科学も脳が実存しているからイメージしやすい。しかし量子力学はどこかに人間らしさを見出だすのが難しいのです。人間も量子でできていると考えて、人間に例えるとどこなのか?というようなことが解明されたり定義されたりしてくると、経営層も今後の展開を想像できるようになるのではないでしょうか。
福本:
何か日常体験みたいなもので比喩的に表現し、量子技術がイメージできるようになるとよいのですが、どのようにお考えですか。
嶋田:
量子技術の中では量子コンピューターが一番説明しやすいでしょうね。
大友:
先ほどアナロジーの話がありましたが、比喩的な表現、人間が認知しているものに置き換えることは非常に大切だと思います。科学コミュニケーターでもある嶋田さんが監修された日本科学未来館の「量子コンピュータ・ディスコ」の展示を体験しましたが、大変分かりやすかったです。量子力学の原理を用いた量子コンピューターのプログラミングを、音楽を重ね合わせながら聞いたり、いくつかの曲からひとつを決定したりする体験を通して体感的に理解できました。あの展示を体験した人は、量子コンピューターとは思わずに触っていますが、後になって自分が量子コンピューターを操作していたことに気付くわけです。
嶋田:
それまでの量子力学の展示ではコインなど視覚的なもので表現することが多かったのですが、量子コンピューターの内部状態を人間世界の何かで表現できないかと検討する中で、音の要素が使えないかというアイディアが出てきました。音の高さや大きさ、リズム、角度などの多様な要素が、量子コンピューターが持つ多次元性にうまくフィットするということで、音をメタファーとして「量子コンピュータ・ディスコ」を制作しました。
日本科学未来館 常設展示「量子コンピュータ・ディスコ」(日本科学未来館のサイトに遷移します)
左:「量子コンピュータ・ディスコ」の外観 右:ゾーン2「ダンスフロア」の様子
画像提供:日本科学未来館
福本:
「科学コミュニケーター」の役割は何でしょうか。興味を持ってもらうための伝え方やポイントなどがあるのでしょうか。
嶋田:
もともと明確な定義はありませんが、科学と社会を繋ぐ役割をもつ人を「科学コミュニケーター」と呼んでいるようです。この役割を担う人は社会にたくさんいます。理科の先生が代表例ですし、科学についての記事を書くライターも同様です。コミュニケーション自体は地道なものだと思います。
狭義には科学コミュニケーションは双方向であるべきという立場も取れますが、私は一方向で伝えることも非常に重要だと考えています。科学館の展示は見てもらうだけなので一方向ですし、映像コンテンツも教科書も一方向のコミュニケーションです。もちろん、双方向でできればもう少し伝わる部分は当然あるので、そこを何かで補うような工夫は必要でしょう。
量子技術に関する科学コミュニケーションで気をつけている点は、正しさと理解しやすさの間で、どこに目をつぶって、ギリギリの許容範囲内で正しさを保ちつつ分かりやすい方向に舵を切るかということですね。その舵取りや線引きがとても重要になります。
大友:
プレスリリースを出す時と展示を行うのとでは悩みは少し違うのですよね。言葉を選ばずに言いますと、展示ではどこまで演出するかというところで許容できる「脚色」が混じります。理解してもらうためには比喩表現を活用するなど演出を工夫しなければなりません。プレスリリースではその「脚色」が使えないのですが、正確に難しい表現で書いて理解してもらえなかったら、今度は記事にならないというジレンマがあります。
嶋田:
そうなんですよ。その「脚色」ゲージで言うと、論文はゼロでもよいのですが、プレスリリースは事実に基づいた表現の工夫という意味での「脚色」が少しだけ混じっており、展示は一般の方にも興味をもってもらえるように演出としての「脚色」が入っています。
大友:
演出を工夫することで、展示物を体験した方も喜んで見てくれますし、理解度も増すと思います。忠実に正しく展示したとしても、「つまらない」と思われ帰られてしまっては意味がないですから。やはり、その辺のさじ加減が大切ですね。科学館の常設展でも大阪・関西万博でも、誰が来るのか予想がつかないので、展示物を作るのは大変な仕事です。
嶋田:
日本科学未来館の展示を作っていた時は、来館者に興味を持ってもらえるよう、一般の方が知っているものや日常生活で体験するものに関連付けて「自分ごと化」してもらうことを大事にしていました。科学コミュニケーション分野では「フックをかける」とも言います。
現在は、研究所での研究開発成果のプレスリリースがひとつのコミュニケーション活動となっていますが、原稿チェックの際に広報部門との編集バトルがあります(笑)。バトルと言っても、非常に建設的なコミュニケーションでして、広報の人達に理解してもらえるラインと我々研究者が譲れないポイントとのせめぎ合いを通して原稿を練り上げることが、良い刺激になっています。
また、コンテンツの受け手やトピックの濃度を考慮して、適切な手法を選択しています。ディープなコンテンツの場合は長文で図なども入れながらテックブログで伝え、時には双方向でやり取りできる記者向けのイベントを行うこともあります。
- この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2026年1月現在のものです。
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