量子技術の社会実装に向けた展望と課題
~技術・ビジネス・利用、3つの視点のクロッシングで量子技術の可能性を語る~
テクノロジー、イベント
2023年1月23日
「Power of Data × Open Innovation ―デジタルエコノミーの発展を目指して―」をテーマに、2022年11月24日と25日にオンライン開催された「TOSHIBA OPEN SESSIONS」。2日目には、量子技術の有識者や、量子技術のビジネス活用に取り組むスタートアップ企業、量子技術を業務に利用するユーザー企業が集まり、量子技術の社会実装に向けた展望と課題についてセッションが行われた。今回はその内容を紹介する。
量子技術の最新トレンド ~コンピュータ、暗号通信、センシング、マテリアル
綿引:
まず量子技術の最新トレンドについて、寒川さんからお話しいただけますか?
寒川:
トップバッターなので、量子技術のイントロダクション的な話も含めて説明します。量子コンピュータについては後ほど他の皆さんが触れると思いますので、それ以外の量子マテリアルや量子デバイス、量子センシングの最近の動向を紹介します。
量子には「二重性」「量子重ね合わせ」「量子もつれ」という共通の特徴があります。二重性とは、粒子と波動の性質を同時に持つものです。量子重ね合わせでは、0と1の値を同時に保有するという、奇妙なことが起こります。量子もつれは、量子同士が地球と宇宙の果てまで離れていても、互いに瞬時に影響を及ぼし合うという不思議な現象です。このような量子の不思議な振る舞いを使うと、大容量、高精度、高信頼、低消費電力を実現する技術につながり、多様な分野でイノベーションを起こす可能性があるため、注目を集めているわけです。
この量子技術を使って、量子をビットとして超高速計算に使う量子コンピューティングや、究極の安全を保証する量子通信、デリケートな量子状態を利用した超高感度な検知を行う量子センシング、量子の振る舞いが発現する環境を生み出す量子マテリアル、量子特有の現象や機能を活用した量子デバイスなどの研究領域があります。
量子センシングでは、一般的に使われている光ジャイロよりも理論的に10桁性能が良い量子慣性センサのほか、いろいろな種類の量子センサを使うことにより、車やドローンの自動運転、海中の無人作業、医療や創薬などの領域で、今できないことを実現しようとする取り組みが盛んに行われています。また、10のマイナス18乗の精度を有する光格子時計は、高さの僅かな変化で時の進みが早くなったり遅くなったりすることを検知できるため、地震の予兆などの地盤の変化をモニタリングする社会インフラなどでの利用が期待されます。
NTTが取り組んでいる量子デバイス、マテリアルの領域では、超高感度な単電子トランジスタ、大規模な量子もつれ光を発生するデバイス、超伝導量子ビットを使った量子メモリ、エラー訂正なしでゲート型量子コンピュータが動くトポロジカル材料などの研究が進んでいます。
綿引:
続いて平岡さん、量子コンピュータ周りの最新トレンドについて解説してください。
平岡:
これから量子技術はCPS(サイバーフィジカルシステム)の進化を牽引していくことになるでしょう。量子センシング、量子マテリアルによって、これまで取得できなかったデータをフィジカルからサイバーの世界に上げることができるようになります。それらのデータを量子暗号通信により超セキュアかつ高信頼なネットワークで流通させ、量子コンピュータによって超高速に大規模処理できるようになります。量子状態を保ったまま通信する量子通信によりコンピュータをネットワーク上に接続して広域分散処理する量子インターネットが実現すると、量子コンピュータの処理速度の飛躍的な拡大も期待されます。
量子コンピュータは、組み合わせ最適化問題を高速に解く「イジング型」と、多様なアルゴリズムが実行可能な汎用性のある「ゲート型」に大別されます。ゲート型はまだ開発段階で、超伝導、半導体量子ドット、光イオン、中性原子などさまざまな方式が検討中であり、本命の方式は定まっていない状態です。一方、イジング型は実用化が進んでおり、中でも疑似量子と呼ばれる量子コンピュータの研究開発の中で生まれたデジタルコンピュータで動作するアルゴリズムの社会実装が進んでいます。東芝はイジング型の疑似量子を使って大規模な最適化問題を解く「量子インスパイア―ド最適化ソリューション SQBM+」を商用化し、証券取引や創薬の分野などへ適用を進めています。
ゲート型量子コンピュータは、量子ビット数を増やせれば大規模で複雑な問題にも利用できるようになりますが、誤り耐性を付与しようとすると非常に多くの量子ビット数が必要になるため、各社で量子ビットの大規模化に向けて開発が進んでいます。加えてエラーを低減して高精度化、高速化を図ることも非常に重要になります。超伝導方式では量子ビット間の結合を変化させる「可変結合器」が高速化やエラー低減のキーになると言われていますが、量子ビット間のクロストークに起因するエラーの低減と両立することに課題がありました。そこで東芝では「ダブルトランズモンカプラ」と命名した新たな可変結合器の構造を提案し、この課題解決に取り組んでいます。
量子技術を社会実装するために求められる取り組みと活動事例
綿引:
次は、一般社団法人 量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)の特別会員で、量子技術の社会実装に積極的に取り組まれている株式会社長大の活動を紹介していただきたいと思います。高野様、よろしくお願いします。
高野:
長大は総合建設コンサルティングのグループですが、量子技術で未来社会を豊かにすべく、あらゆるものを街レベルで最適化するシステム構想「Quantum City Project」を掲げ、ビジネスに落とし込むために量子事業化マップを作って活動中です。量子プラットフォームの事業推進基盤となるシステムを作りソフト・ハード技術の知見を高めて、さらに都市OSや、Jクレジット、メタバースなどの周辺技術を取り込み、社会実装を進めていきたいと考えています。
Q-STARでは「報酬発生型ルート案内システム」「コンクリート材料配合調整の最適化」「構造設計書における最適解」などをテーマに実証実験を行っているほか、クオンタムシティ推進部会を立ち上げ活動しています。
報酬発生型ルート案内システムは、都心全体の交通を量子技術で最適化し、渋滞緩和やCO2排出量削減に寄与する最適なルートを導き、各車両に案内するものです。ドライバーの行動変容を促すエコポイントも発行します。
綿引:
量子技術の社会実装は、既存技術とのハイブリッド、AIとの組み合わせなど、トータルソリューションが求められます。それを実践されソリューションを提供している株式会社グルーヴノーツ様の事例をご紹介いただきたいと思います。最首様、よろしくお願いします。
最首:
グルーヴノーツは、量子コンピュータ関連サービスとして「MAGELLAN BLOCKS(マゼランブロックス)」というクラウドプラットフォームを提供しています。多くのお客様から寄せられる課題をシンプルかつ迅速に解決することに主眼をおいており、大量データの効率的な処理や分析、AIを使った予測や解析、量子コンピュータによる最適化という3つの機能を中心に用意して、課題に応じて短期間に利用開始ができるよう取り組んでいます。
量子コンピュータについてはアニーリング型のサービスが中心で、D-Wave社と東芝のSQBM+を自由に切り替えて使うことができます。現段階では製造業、特に自動車関係や、サプライチェーンの荷主企業、金融関係の3分野で本格的な適用まで進むお客様が多く、工程・積載・ルート・シフトという4つの最適化問題の定式化も行っています。実は、課題解決においては量子コンピュータ以外の技術とうまく組み合わせることが重要となるため、周辺技術の機能をブロック化しており、それらを組み合わせてプロトタイプを高速に実装し、そのまま本番に持っていける点がMAGELLAN BLOCKSの特徴です。量子コンピュータを使って最適解を導くにあたり、「何をもって最適とするか」を模索することも多いため、試行錯誤の時間を長く取れるよう、できるだけ実装を早める取り組みをしています。
現時点ではシミュレータの段階ですが、ゲート型も試験的に実装を始めており、製造業や金融分野で一定の成果を上げています。本格的に量子ゲートマシンが登場したら、さらにブラッシュアップしていく方針です。
生産ラインの組み立て工程の最適化やトラック輸送の最適化をはじめ事例は非常に多くなっており、本格導入するお客様も増えて利用が拡がっています。社会が大きく変容している中でこれまでのやり方を根本から見直す際に、量子コンピュータを使って解決策を見出そうとする取り組みが多いです。
仮に最適解を出せたとして、それを実際に運用して問題が起きないか、効率よく動くのかをシミュレーションする仕組みも提供しており、シミュレーション結果を踏まえてもう一度最適化していくという流れで取り組みを行っています。
量子技術の社会実装に向けた、企業の課題とは
綿引:
ではパネルディスカッションに入ります。まず量子技術の社会実装に向けた企業の課題について、皆様にご意見をいただきたいと思います。
寒川:
量子技術はハードルが高く、参入するのに抵抗がある企業が多いのが課題ではないかと思っています。ただ、今我々がPCの中のシリコンCMOSで電子がどう流れているかなど全く考えずに使えているように、量子技術が成熟すれば同じように簡単に使えるようになるでしょう。むしろ気になる点は、従来のインターネットをベースにしたデジタルの仕組みでは、量子情報が扱えないことです。今後は光ベースの「オールフォトニクスネットワーク」で量子情報を自由に使えるインフラが必要になると考えており、NTTも2030 年から始まる次世代ネットワーク「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)」に導入する予定です。そういった新しいインフラが見えてくると、企業としても将来の量子ビジネスに向けた投資をしようという気概が出てくるでしょうし、まさに今がそのタイミングだと思っています。
高野:
長大は、社会インフラ整備のコンサルティングを行う中で「Quantum City Project」というビジョンを掲げていますが、社会実装するには、量子による解決分野に落とし込むのではなく、課題解決優先でユースケースモデルをしっかり作り上げることが大切だと考えています。事業を進めるための器作りや、マネーフローを意識し、最後に実装技術に何を選択するかを決定すべきでしょう。そこで量子を使う必要があるならば使い、量子でなくてもできるのなら既存技術を使えばよいわけで、柔軟な考え方と体制が必要だと考えています。
最首:
量子アニーリングの取り組みには主に2つの最適化の方向性があります。一つは組み合わせの解を解くのに非常に時間がかかるため、量子コンピュータで素早く処理を終わらせたいというニーズ。もうひとつは、今考慮できていなことも含めて根本的にやり方を変えたいというニーズで、本格的に量子コンピュータを使うことになりやすいのは後者になります。今のビジネスのやり方を根本から変革したいといっても、「変えるべきものは何か」を本当に理解できているとは限らないということが非常に大きな課題です。実際に我々のプロジェクトでも、最適解を解く時間より、本当の課題は何かという点を解析しお客様と検討する時間のほうが長いのです。本当の課題を見つけて腹決めすることが、社会実装に一番大切な点だと思います。
平岡:
2つの視点で企業の課題を指摘したいと思います。一つは周辺技術です。量子技術は単独では実用化できず、周辺技術と上手く組み合わせる必要があるため、実用化に向けては異分野の専門家が風通しよく議論できるチームビルディングがポイントになるでしょう。これを企業内で部門の枠を超えて作る、またはオープンイノベーションで社外と共創していくことが重要です。二つ目はゲート型におけるタイムスケールです。ゲート型の実用化には時間がかかります。しかし、何かできてから取り組めばよいというわけにはいきません。やはり先行して手を付ける必要があるため、いま技術開発がどのレベルに達しているのかを注視し、どのフェーズで投資を拡大するのか、正しく見極めることが重要になるでしょう。
ハードルの高い量子人材を、どのように育成していくべきか
綿引:
量子技術の社会実装のためには、いかに人材を企業内で育成するのかも肝心だと認識しています。この点について意見をいただきたいと思います。
寒川:
非常に難しいお題ですね。まず経営層が量子技術の価値やポテンシャルを正しく認識し、中長期的な視点でマネジメントすることが重要です。また技術を支えるスペシャリストは、IBMやGoogleなどの海外企業と戦わなければなりません。日本政府も関連予算を増やし、量子イノベーション拠点を整備するなど、まさに臨戦態勢です。幸いにも今、大学で量子に興味持つ人が多く在籍しており、彼らの活動が非常にアクティブでやる気に満ちているので期待しています。産業界としても、将来の量子ビジネスに向けて、こういった人材をきちんと採用していかないと人材育成のエコシステムが回わらないため、その意識も重要ですね。
高野:
人材育成という点では、私自身が量子セミナーに参加して「京セラ賞」を受けた経験があるため、量子技術を学ぶ人に対してどれだけ夢を与えられるのかが鍵になると感じています。産業界側が夢を受け止め、大きな器を整えられるといいですね。長大もインターンシップや、開発アプリを実証実験できる場を提供するところで、お役に立てればと考えています。
最首:
量子コンピュータもしくは量子技術自体の発展のための人材育成は、非常に専門性が高くて難しいと思います。一方で、我々が取り組む量子の活用分野は、そこまでの専門性は要らず、従来の数理最適化と比べて格段に難しいわけではないのです。上手く仕組み化して、量子コンピュータを使いやすくすることで、課題を解決できると思います。しかし、繰り返しになりますが、未来に向けた最適な状態への考察がないと、本当に良い解が出ないのです。人材育成の課題は、これから日本企業は何をすべきかについて考えがあるか、方向性を打ち出せるかということに帰結してくるのではないかと感じています。
平岡:
企業人材については、AIのような周辺技術と量子技術との組み合わせの観点において、例えばAI技術者に量子技術に対する興味を持ってもらうことが必要です。開発プロジェクトを通じて、そうした人材を育てられるでしょうし、研修などできっかけを与えることもできるでしょう。学生については、当然ながら企業側に量子技術の取り組みがないと、学生も量子分野に出て行きませんので、企業としてしっかりと情報発信をしていく必要があります。興味を持った学生が、すぐに何かに取り組めるようなテストベッドなどを整備していくことも非常に重要だと考えています。
綿引:
最後に今後の展望について一言ずつお願いします。
寒川:
今、デジタル社会の情報量が爆発的に増加していますが、消費エネルギーの観点から大きな問題をはらんでいます。一方で量子コンピュータは原理的にエネルギーを使わない演算なので、この特性は非常に重要です。技術的なハードルが高いチャレンジングな領域ですが、何とかやり遂げなければならないと考えていますので、皆さま、応援をよろしくお願いします。
高野:
長大は、Q-STARをはじめとする周辺の皆さまを取り込んで大きなエコシステムを作り、関係各者が協調領域と競争領域を棲み分けて、仲良くできるコンソーシアムを作り上げたいですね。
最首:
社会は大きく変動しており、これまでの状態のままではいられなくなってきていると思います。そこに、奇しくも量子技術の発展が確実に出てくることを考えると、産業界も含めて世の中が大きく変化するでしょう。すでに量子コンピュータが使える状況にある中で、黙って見ているのではなく、一歩踏み出して変化がどこに向かうのかを確かめて先を見据えることが、今非常に重要なっていると思います。
平岡:
カーボンニュートラルという観点では、量子技術がこれに大きく貢献するように考えていく必要があります。また、量子技術の社会実装を拡大していくために、産業界の中で、あるいは産官学連携での共創を拡げて、将来のQX(Quantum Transformation)に向けたイノベーションを起こしていければと思います。
綿引:
ご登壇者の皆さま、本当に貴重なお話をありがとうございました。
- この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2022年11月現在のものです。
執筆:井上 猛雄
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