家電製品から社会インフラ向けの機器まで、産業領域においてLinuxを適用する範囲は急速に広がりました。ただその道のりは、決して平坦なものではありませんでした。東芝では長年にわたり、省電力や起動時間の短縮、リアルタイム制御などのさまざまな難題に対峙し、それらを克服しながら新しい価値を創出することで Linuxの進化に貢献してきました。現在では、長期保守や高信頼性、さらにはサイバーレジリエンス対応といった新たな課題も浮上し、技術者たちは日々革新を追求しています。
この連載では、東芝が直面した数々の困難と、それを乗り越えるための取り組みを4回にわたってひも解いています。
これまで3回にわたり、組込みLinuxの基本課題やその対応策、技術的な挑戦、さらにはオープンなコラボレーションを通じた共通課題の解決を目指す「Civil Infrastructure Platform(CIP)」の活動と東芝のリーダーシップについて紹介してきました。最終回となる第4回は、これまでに解決してきた技術課題の成果を取り込み、東芝の多様な製品を支えている産業用Linuxディストリビューション「Skelios(スケリオス)」を紹介するとともに、連載を総括します。
Skeliosが誕生した背景と狙い
Skeliosは、東芝が長年培ってきた組込みLinuxに関する技術と経験にDebianなどのOSS(Open Source Software)エコシステムを取り込み、さらにCIPで得た成果を活用して東芝グループの製品向けに開発した独自のLinuxディストリビューションです。名前には「Skeleton(骨格)」と「Linuxオペレーティングシステム」の意味を込め、東芝の多様な製品を支える共通Linuxの骨格として機能することを目指しています。
従来は、周辺機器やハードウェア仕様などに応じて製品ごとに専用のLinux環境を開発しなければならず、それら個々の環境に対する長期にわたる保守やセキュリティ対応が大きな負担となっていました(図1左)。各環境には、適用する製品に応じて個別の対応が必要とされる部分がある一方で、例えば、LinuxカーネルやOSSのミドルウェア、ライブラリーを組み合わせて新しい機能を実現したり、リアルタイム性能を強化したりといった、共通して求められる機能や性能があります。Skeliosは、これら共通して必要な機能や性能などを取り込んだ共通基盤として整備しました。この活用により、これまですべてを個別に行っていた保守やメンテナンスの負担を減らしつつ、社会インフラに求められる持続可能性や信頼性を確保できるようになります(図1右)。東芝は、2010年にSkeliosの開発を始めました。開発の当初から、製品の多くで求められる機能や性能を捉えて開発した技術を取り込む形で、継続的に進化させてきました。こうした活動の結果、現在までに60以上の東芝製品に適用されているLinuxディストリビューションとなっています。
CIPとDebianとの連携
Skeliosを特徴づけているのは、CIPとDebianという2つのOSSコミュニティーの成果を組み合わせ、さらに東芝の技術と知見を融合させている点です(図2)。
CIP(Civil Infrastructure Platform,https://www.cip-project.org)
CIPでは、長期利用を前提としたカーネルと、インフラ機器に共通するコアパッケージを「Open Source Base Layer(OSBL)」として提供しています。最低10年の超長期保守に対応するとともに、リアルタイム性能を向上させる拡張機能の標準化やセキュリティの国際標準への適応、さらには安全なソフトウェア更新機能の実現などを通して、信頼性のある産業グレードのLinux基盤を持続可能な状態で提供しているものです。Skeliosでは、さまざまな製品に共通して求められる機能や性能の基礎として、このCIP OSBLを用いています。
Debian(https://www.debian.org)
Debianは、世界的に利用されているLinuxディストリビューションの1つです。汎用性が高いだけでなく、組込みシステムへの搭載実績も多数あります。「Debian Free Software Guideline」に基づく数万に及ぶOSSパッケージが、互換性や安定性を重視しながら脆弱(ぜいじゃく)性やバグに対応して提供されています。このガイドラインは、Open Source Initiativeが提唱する、オープンソースの定義(The Open Source Definition)の基にもなりました。
Skeliosでは、DebianをCIP OSBLと組み合わせて利用することで、OSBLではカバーできない部分を補い、幅広い機能と柔軟性を獲得しています。東芝は2015年以来、10年以上にわたりDebian LTS(Long Term Support,https://www.debian.org/lts/ )における最大のコントリビューターの一員として、その進化に貢献してきました。このように継続して組込みLinuxの脆弱性や長期保守に取り組んできた経験は、Skeliosに生かすとともに、さまざまなOSSの持続的な発展を支えています。
この連載の第3回でCIPの目指すOSBLの利用イメージとして、OSBLをLinuxディストリビューションや関連するOSSとともに利用する仕組みを紹介しました。その仕組みを東芝の中で実現し、多様な製品で活用可能な形にしたものが、Skeliosです。
Skeliosの技術的な仕組み
とはいえ、Skeliosは単なる「CIPとDebianの組み合わせ」ではありません。さまざまな製品に、よりよく適用するための独自の仕組みも備えています(図3)。
パッケージ統合・管理ツール群
CIPとDebianから提供されるOSSパッケージを、Skeliosとして展開可能な形にまとめるビルド環境や管理ツールを整備しています。これにより、製品ごとにカスタマイズされた、利用するOSSパッケージの組み合わせとそのバージョンや設定の個別管理、さらにはセキュリティの更新などを効率的に行えます。
セキュリティと可視化
Skeliosでは、パッケージ統合ツール群により管理しているOSSパッケージを含むSkelios全体に対する、脆弱性の追跡および修正の適用を自動化しています。その結果を基に、各製品の脆弱性についても確認や修正の適用を自動化したり、検証したりすることができます。最近では、ソフトウェアサプライチェーンにおけるソフトウェア開発のライフサイクルをトレースするために、「ソフトウェア部品表(SBOM:Software Bill of Materials)」の作成が求められるようになりました。Skeliosには、製品ごとのソフトウェア構成を「見える化」する機能を組み込んでいるため、その作成は容易です。現在は複数あるSBOMのフォーマットへの対応も進めており、企業として課題に対処すると同時に、Skeliosを適用した製品を使う顧客に対して安心を提供していきます。
製品ごとの最適化
PLC(Programmable Logic Controller)のように高速かつ厳密なリアルタイム性能が問われる製品もあれば、省電力が重要なIoT機器、セキュリティが重視される社会インフラ機器など、それぞれの製品によって必要とされる要件は異なります。そのためSkeliosは、「共通基盤+カスタマイズ」で、多様なニーズを満たせられる設計にしました。カスタマイズは、OSSパッケージの組み合わせだけでなく、OSSごとのチューニングやセキュリティの設定など、多岐にわたり行えます。
(https://www.global.toshiba/content/dam/toshiba/jp/technology/corporate/review/2023/06/b03.pdf (PDF形式))
Skeliosの開発は、製品に特化した部分は東芝の中で閉じて行い、そこを除いた部分については基本的に「アップストリームファースト」※の原則に従い行っています。これは、主にCIPやDebianのコミュニティーでの活動を通して、SkeliosまたはSkeliosを適用する製品に必要な技術開発を行うものです。例えば、ソフトウェア更新のような基本機能に関わる技術などは、東芝において開発した成果がCIPを通してOSSのアップストリームコミュニティーにダイレクトに貢献する、つまりアップストリームに取り込まれた形で最初に現れます。この開発の原則を用いることで、OSSコミュニティーが持続可能になり、またOSSを用いるSkeliosは同様の恩恵を受けることが可能となります。
※OSSでの開発をまず主要リリース系列(アップストリーム)に還元し、そこから利用する考え方。詳細は、第3回で説明しています。
サイバーレジリエンス時代に応えるSkelios
世界では、欧州連合(EU)の「サイバーレジリエンス法(CRA法)」をはじめとする規制の強化が進み、日本でも「セキュリティ要件適合評価及びラベリング制度(JC-STAR)」の運用が始まりました。これらの規制や制度では、製品を「作りっぱなし」にするのではなく、製品のライフサイクル全体にわたるセキュリティ対応が求められています。
Skeliosは、(1)CIPとDebianとの連携による長期的に安定した基盤、(2)CIPの活動に基づく国際標準IEC62443-4に適合した開発プロセスとコンポーネント、(3)継続的な脆弱性モニタリングとセキュリティ更新の仕組みなどを組み合わせることで、Skeliosを適用する製品における、障害からの迅速な復旧や持続的な改善を支えるサイバーレジリエンスの実現を目指しています。Linuxディストリビューションという、各種製品が提供する新しいサービスや価値を支える根幹の部分で、それらを安心して展開できる環境を築くこと――それは私たちの社会を支える基盤を提供することにほかなりません。
未来への展望と連載総括
この連載では、組込みLinuxの課題とそれを克服する進化の過程を、東芝の貢献を交えてひも解いてきました。省電力、起動時間の短縮、リアルタイム性能、長期保守、さらには高信頼といった点で解決策を示したほか、開発と評価、コミュニティーとの連携により産業用途に求められる品質と性能を達成してきた東芝の継続的な挑戦と積み重ねがお伝えできたと思います。こうした活動の集大成ともいえるのが、今回紹介したSkeliosです。
Skeliosは、東芝の多様な製品群を支える共通基盤であると同時に、CIPやDebianといった国際的なOSSコミュニティーと協力してきた成果でもあります。この連載で見てきたように、組込みLinuxを製品へ適用するにあたっての課題の多くには共通性があり、それらをオープンに共有することで企業や国を超えたコラボレーションに発展し、課題解決につながります。その成果は、巡り巡って製品の基盤として活用されるのです。コラボレーションの過程で向上した技術力によって、製品固有の課題を解決する糸口も得られるようになります。
東芝は、これからも社会インフラを支える責任を果たしながら、サイバーレジリエンス時代の新たな価値の創出に挑戦し続けます。そして同時に、Skeliosを支える要でもあるCIPという、社会を支えるソフトウェアの基盤作りを目指すオープンソースコミュニティーへも貢献していきます。もしこの連載を通じて私たちの活動に興味を持たれたなら、CIPの活動も覗いてみてください。ぜひ私たちと共に、持続可能な社会を支えるソフトウェアの基盤作りに取り組みましょう。
小林 良岳(KOBAYASHI Yoshitake)
株式会社 東芝 総合研究所 デジタルイノベーション技術センター
技術推進統括部 シニアマネジャー
Civil Infrastructure Platform Project Technical Steering Committee Chair
TOPPERS Project 理事
入社後、組込みOSおよびOSSの技術開発と製品適用を広く推進。現在は、東芝グループのソフトウェア開発力強化に向けた技術展開のリードに加え、高信頼で長期運用が可能なOSSの実現を目指すCivil Infrastructure Platformプロジェクトの技術委員会長を担当。
林 和宏(HAYASHI Kazuhiro)
株式会社 東芝 総合研究所 デジタルイノベーション技術センター
コンポーネント技術部 エキスパート
Civil Infrastructure Platform Project Software Updates WG Chair
入社後、Skeliosの立ち上げや開発、機能強化に従事し、さまざまな領域に展開される製品へのSkeliosの適用を推進。現在は、Skeliosの開発・維持を担うチームでリーダーを務める。社外では、Civil Infrastructure Platformプロジェクトにおいて、Software Updatesワーキンググループの代表として活動。
大抜 倖司朗(ONUKI Koshiro)
株式会社 東芝 総合研究所 デジタルイノベーション技術センター
コンポーネント技術部
Civil Infrastructure Platform Project Software Updates WG メンバー
入社以来、Skeliosの機能強化のためのLinux・オープンソースソフトウェア(OSS)の技術開発や、Skeliosの製品適用業務に従事。Civil Infrastructure Platformプロジェクトにおいて、Software Updatesワーキンググループのメンバーとして活動するなど、社内外でソフトウェア更新基盤の研究開発を推進する。
- この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2025年11月現在のものです。
- この記事に記載されている社名および商品名、機能などの名称は、それぞれ各社が商標または登録商標として使用している場合があります。


