デジタルで豊かな社会の実現を目指す東芝デジタルソリューションズグループの
最新のデジタル技術とソリューションをお届けします。

私たちの社会や生活において、情報伝達手段の一つとして音の活用が進み、情報のやり取りの自由度や利便性が向上しています。一方で、周囲にあふれる音情報は、音の混在や聴き疲れなどの課題を生み出しており、今後は、「音がどのように聴こえてくれば、人はより良い形で音を情報として活用できるのか」という視点が、いっそう重要となります。東芝は、「人にとって、より望ましい形で音を届ける」ことをコンセプトとした音響ソリューション「Soundimension 音像デザイン」を実現するための技術開発を進めており、「Soundimension 仮想音像」と「Soundimension 音場制御」を商品化しています。このコンセプトと、想定される活用の場、これらのソリューションを支えるコア技術である「仮想音像技術」と「エリア音圧制御技術」について、3回にわたる連載で解説します。
第1回では、これから期待される音の新たな聴こえ方とその実現を支える音響技術の概要を、また第2回では、東芝のコア技術の一つである仮想音像技術を説明しました。連載最終回の第3回では、もう一つのコア技術「エリア音圧制御技術」について解説します。

※2023年度リリース予定を含みます


東芝の音場制御技術


第1回において、東芝の音場制御技術である「エリア音圧制御技術」は、スピーカーなどから出力される音を対象とし、空間内に音圧分布を形成して、音がよく聴こえる場所と聴こえにくい場所をつくりだす技術であること、そしてその開発におけるコンセプトは、「簡易な系で、効果を体感できるようにすること」と「再生ハードウェアの構成を変えることなく空間内の任意のエリアに音圧分布を形成できるようにすること」であるとお伝えしました。

今回のテーマである当社の「エリア音圧制御技術」を解説するにあたり、最初に、音場制御の効果を実現する種々のアプローチの中における、この技術の位置づけについて説明します。

音場制御技術には大きく分けて、スピーカーなどを介して出力される音の音圧を空間内で制御する技術と、スピーカーからの音に限らず、ある場所に発生した音の音圧を空間内で低減させる技術(能動消音:Active Noise Cancellingと呼ばれます)という2つのアプローチがあります。

前者は、意図して発する音の音圧(音の大きさ)を空間内の場所によって変化させ、届けたいところに音を届ける、すなわち「音を適切に聴かせる」ための技術です。これは、音声ガイダンスやアナウンスのような伝えたい情報を、聴きたい人がきちんと聴き取れるように届けたい場合に有効です。一方、後者は通常、リスナーの周囲に発生した音を相殺し、「音を聴かせない」ようにするものです。例えば、工事現場の騒音や機械の動作音のような本来聞かせたくない音を静音化するときに有効です。

これらの異なる目的の実現のためには、要求される技術も異なります(図1)。

私たちが「Soundimension音場制御」のコア技術として開発しているエリア音圧制御技術は、前者の技術であり、あるエリア内の「静音化」よりも「音情報のわかりやすく快適な伝達」を目的としたものです。これは、音を情報として、より積極的に活用するという当社の音響ソリューションの指針に基づいています。


音場制御における東芝のコンセプト


続いて、エリア音圧制御技術のコンセプトとその実現のための技術について解説します。

スピーカーから出力する音の制御技術自体は、古くから知られています。その原理は、複数のアレイスピーカーを用いてそれぞれのスピーカーから音を発生させ、位相制御を組み合わせて空間内に任意の音圧分布を形成するものです。また、超音波スピーカーなどの高い指向性を持つスピーカーを用いることでも、音圧の高低が異なるエリアをつくり分けることができます。

しかし、これらの方法で音場制御を実現するには、超音波スピーカーや多くのスピーカーといった、設置場所やコストを要する設備が必要となります。そのため、適用できるシーンが限られるという課題がありました。

そこで、音場制御をさまざまな場所やシーンで使えるようにするために、エリア音圧制御では次の3つのコンセプトを挙げています(図2)。

  1. 特殊な仕様ではない一般的なスピーカーかつ、できる限り少ない数のスピーカーで、空間全体を囲まずに音圧分布のエリアをつくりだす。また、パーソナル空間での利用を想定し、1m程度のエリアでも制御を可能にする
  2. ユースケースごとにハードウェアで個別に合わせ込む要素を低減し、音を届けるエリアをソフトウェアで制御する
  3. 制御が難しいといわれる低周波領域も制御の対象とし、処理が可能な音源の種類の幅を広げる

スピーカー群で空間を囲まずに、少ない数の一般的なスピーカーで音場制御の効果を発揮できるようにすることで、音を活用する幅が広がります。また、イベント会場などの広いエリアや、ヘッドホンあるいはネックスピーカーのようなウェアラブルスピーカーによる最近接エリアに加え、1m前後のサイズのエリアも制御対象とすることにより、音情報を受け取るリスナーが1名程度で、かつウェアラブルスピーカーを装着していないシーンなどにも適用できるようになります。

さらに、個別に合わせこむ要素を極力低減して汎用化することで、誰でも簡便に低コストで利用できるようになります。また、通常の位相遅延制御では難しい、波長の長い帯域(低周波領域)での指向性を実現することで、制御の対象とする音源の周波数帯域が広がり、さまざまな音の活用が可能になります。これらのコンセプトは、いずれもユースケースの自由度を上げることにつながるものです。

このコンセプトを実現するにあたり、私たちは、まずN個のスピーカーで制御する技術的方式を確立させてからNの値を減らしていくという方法をとりました。

基本的に、Nの値が小さくなればなるほど制御の自由度が下がるため、技術的な難易度が上がっていきます。当社では、Nの値が小さい状態でもスピーカーとスピーカーとの間に逆位相の状態をつくりだしたことで、現在は「N=3」、つまり3個のスピーカーでも音場制御の効果を発揮できています。

1m程度の狭いエリアで音圧分布をつくりだすことにも工夫が必要です。音は距離による減衰が小さく、原理的には狭いエリアで急激な音圧の勾配をつけることが難しいとされているからです。

例えば、ATM(Automatic Teller Machine:現金自動預払機)や券売機のような小型の機器における自動音声案内や窓口との会話、あるいはオンライン会議といった狭いエリアで音を利用するシーンでは、音を届けたい人以外の人にも音が届くことがよくあります。そのため「届けたい人に届けたい音」を届けることを考えたとき、5〜10mの広いエリアだけではなく、それよりも狭い1m以内のエリアに音圧分布をつくる「狭空間制御」の実現が重要となるのです。

そこで、この狭空間制御の実現に向けて当社は、音源の規模を示す固有の値である音響パワー※1を低減させる制御と、あるエリア内の音圧を最大化させる制御、2つの制御則を組み合わせてバランスを取る方式(Combination方式、以下「C方式」)を考案しました。

この、2つの制御則の成立を3スピーカーで実現するC方式によって、狭いエリアで音圧の勾配をつけることに成功しました。

※1 音響パワー:音源が単位時間(1sec)に放射する音響エネルギーE[J]であり、単位はW=[J/s]。音響パワーレベルは、基準音響パワーW0で除した値の常用対数の10倍で単位は[dB]。音源の規模を示す固有の値であり、音源からの計測距離などで変化する音圧レベルとは異なる。

 

実際の活用シーンを考えると、ユースケースによって、同じ空間内でも音を聴かせたいエリアの位置や大きさが変わることが予想されます。その都度、所望の特性を得るためにスピーカーの配置や種類を変えて合わせこむことは非常に手間がかかり、現実的ではありません。加えて、ユースケースが変わるたびに技術者による最適化を必要とする仕組みは、この音場制御技術を汎用的に活用するうえで障壁となります。

そこで、スピーカーの個数と配置を決めたあとは、音圧が高いエリアと低いエリアの分布位置を、ハードウェアの設定を変えずにソフトウェアによる制御だけで最適に調整ができるようにすることを前提として、技術設計を進めました。併せて、位相を調整するときに設定する「仮想境界面」を調整し、通常は制御が難しいとされる低周波領域についても、制御する対象に含めることができました。

このように、簡易な系でエリアを選択して音圧分布を制御できることを明確にするために、私たちは東芝の音場制御技術を「エリア音圧制御技術」と呼んでいます。


エリア音圧制御(C方式)とは


エリア音圧制御技術の方式には、複数のアプローチがあります。前述したC方式は、「Soundimension音場制御」の製品に採用する予定であり、その特徴は「増音」と「減音」です。音圧と音響パワーを制御し、音を持ち上げる(増音)エリアと静粛化する(減音)エリアを同時につくりだします。

ある局所的な方向にだけ急激に増音させたい場合、スピーカーの数を増やしてそれらの音を重ね合わせることで音量は増えます。しかし当社では、スピーカーの数は増やさずに、3個のスピーカーの音を重ね合わせて音量を増やし、そこに音響パワー最小制御則を導入して音が発生元から低減するエリアをつくりました。これらを合わせて、狭いエリアにおける増音と減音の両立を実現しました。

さらにこの方式では、N個(現在は3個)のスピーカーをひとまとまりのスピーカー群として配置し音圧分布を制御するため、制御したいエリアをスピーカーで取り囲むことなく、スピーカー群の周囲に音圧勾配をつくりだすことができます。

また、音圧分布を自由に設計できるという特徴もあります。入力する音源の主体となる周波数に対して最適な位置にスピーカーを配置することで、音圧分布を実現します。空間内における音圧分布の生成位置は、スピーカーの配置に対して一意に決まるものではなく選択できるものであるため、音を聴かせたいエリアを変更する際にも、スピーカーの位置を変えずにソフトウェアで制御することが可能です。

この特徴を発展させることで、複数の分布を重ね合わせることもできるようになります。例えば、それぞれ個別に処理した音の分布を重ね合わせて、Aのエリアではアナウンス音を、BのエリアではBGMを良く聴こえるようにするといったことが可能になります。


これからの音場制御技術


このように当社は、音場制御を活用する際の障壁をできるだけ減らすために、大掛かりな、あるいは特殊なハードウェアを必須としない音場制御の実現に向けて、技術開発を続けてきました。今後、この技術が自然に当たり前に活用される社会インフラとして、イベント会場や映画館、コンサートホールのような「特別な空間」だけでなく、日常生活でも幅広く活用されることを目指しています。

そのためにも、少ない数のスピーカーを用いたシンプルな仕組みで、多くのシーンで、安定した効果を出せるように、引き続き課題の解決に努めていきます。

例えば、一般家庭や自動車内のような吸音効果の高い空間や、駅の券売機やショッピングモール内のデジタルサイネージなどが置かれるセミオープンな空間など、使用環境の違いで音場制御の効果は多少異なります。そこで、エリア音圧勾配の差をさらに広げることで、環境の違いに影響されにくい安定した効果を実現していきます。

さらに、異なる内容や言語の音を同時に再生し、エリアAでは音A’だけが、エリアBでは音B‘だけが聴こえる制御は、原理的には実現可能ですが、十分に体感効果を得るためにはまだ技術課題が残っています。また、方向により音の直進性がよすぎる場合には、自然減衰だけに頼らず、急峻に音圧が減少する制御が求められます。これらの課題を解決し、より多様な音の聴こえ方をつくり分けて、さまざまなニーズに応えていきたいと考えています(図3)。

全3回を通して、東芝が開発する音響ソリューションの概要と、そのコア技術である「仮想音像技術」「エリア音圧制御技術」について解説しました。東芝は、汎用的で簡易な系を用い、ソフトウェア制御によって音の方向感や場所による聴こえ方の差をつくりだすことで、音情報のさらなる活用や人にとって聴こえやすく快適な音づくりを行っています。

これからも、音の新たな活用のためのさらなる技術開発やソリューションの創出を行い、音情報を快適にやりとりしたり活用したりできる社会づくりに貢献していきます。

山田 有紀(YAMADA Yuki)

東芝デジタルソリューションズ株式会社
ICTソリューション事業部 新規事業開発部 エキスパート


東芝に入社後、新規半導体デバイスの研究開発に従事。2015年よりデータ利活用技術開発を経て新規事業/製品の開発に携わり、現在は音響技術を活用した新規事業の立ち上げを推進している。

  • この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2023年3月現在のものです。

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