デジタルトランスフォーメーション(DX)を経営テーマに掲げ推進する企業は増えているが、成果が生み出せていないケースが多い。その中で、着実に取り組みを進め、成果に結びつけている企業の1つが東芝だ。グループの中でデジタルソリューション事業を展開する東芝デジタルソリューションズは、グループ事業のDX推進を下支えするとともに、さまざまな産業領域のお客様のビジネス変革に貢献するソリューションの提供や、これまで培ってきたビジネス基盤や技術を生かしたDXを加速させ、新たな事業、サービス創出に取り組んでいる。東芝はいかにしてDXを推進し、自らの事業を変革しようとしているのか。その方法論と具体的な成果、さらにはその先を見据える未来について考察したい。

この先「ニューノーマルな時代」はやって来ない

株式会社東芝 常務執行役員
東芝デジタルソリューションズ株式会社
取締役常務 ICTソリューション事業部長

月野 浩

 
コロナ禍で「ニューノーマル」という言葉が取り沙汰された。社会が大きな変化を遂げ、新たな常態が生まれるという意味の言葉だ。これに対し「ニューノーマルな時代は来ない」と話すのは、東芝デジタルソリューションズの月野 浩氏だ。

 「世界は常に変化しており、我々を取り巻く環境、状態が固定化されることはありません。新型コロナのパンデミック後も地政学リスクや、自然災害の激甚化など、様々な出来事が起こり続けています。企業は、今後も常に変化に対応する必要があると言えるでしょう」

 こうした変化の加速に対応するために、重要なカギとなるのがデジタルだ。デジタル技術の進展により、実世界(フィジカル空間)にある多様なデータを収集し、サイバー空間で大規模データ処理技術などを駆使して分析。そこで創出した新たな知見を生かして、産業の活性化や社会問題の解決に取り組むことが可能になった。

DEからDXへの進化を「SHIBUYA型ステップ」で実践

 こうした中、多くの企業はDXを経営テーマに掲げるが、成果をあげている企業はそれほど多くないというのが実情だ。その理由はどこにあるのだろうか。

 「DXとはデータとデジタル技術を活用し、組織やビジネスモデルを変革していくことです。そのためには、あらゆる業務やプロセス、サプライチェーンをデジタルでつなぎ、多種多様なデータを蓄積・活用できる仕組みが必要ですが、それは一朝一夕で実現できるものではありません」(月野氏)

 この課題に対し、東芝グループではDXを因数分解し、「DE(デジタルエボリューション)」と「DX」のフェーズで変革を推進しているという。

 「DEはデジタル技術を活用し、現在の業務を効率化・高度化すること。すなわち、業務プロセスのデジタル化です。一方、DXはコミュニティやエコシステムを形成するプラットフォームにより、ビジネスモデルを大きく変革したり、新たなビジネス構造を構築することです」と月野氏は説明する。

 DEからDXへの進化は「SHIBUYA型ステップ」で進めている。電車を止めることなく新しいまちづくりを進める渋谷のように、既存のビジネスを止めずにDEを進めながらDXにより新たなビジネスを生み出すという意味が込められている。

 具体的なステップは図1の通りだが、大前提となるのが、ハードとソフトを分離する「ステップ0」だ。「ソフトをハードから分離させれば、ハードに依存せず、柔軟にアップデートが可能になる。ソフトウエアデファインドなソリューション開発が進み、ソフトの力で新しい価値を次々と生み出すことができます」と月野氏は狙いを語る。

まずソフトとハードを分離し、ハードを意識しないソフトウエア開発で価値向上を図る。必要に応じて市場価値の高いハードや最新技術を取り入れ、ソリューションをアップデートしていく

 東芝グループの様々な事業領域でこのSHIBUYA型ステップを実践していくにあたり、企業風土の変革、社員のマインド醸成にも取り組んできた。そうした取り組みの1つが、グループ一丸となって進める「みんなのDX」である。「あらゆる事業、部署のメンバーがDXについて様々な角度から考え、新たなビジネスのアイデアを発想する活動です。そこから事業化に向けたビジネスモデルを検討し新規事業構想などを発表する『社内ピッチ大会』を定期的に開催しており、既に200を超える新規事業のタネを発掘しています」と話す月野氏。

 DXに向けた取り組みは、グループ内だけにとどまらない。多様な企業・団体と共にオープンイノベーションにも取り組んでいる。既存のビジネスや組織の枠を超え、アイデアの創発やその事業化、人材育成などを進める活動を支える仕組みの1つが「ifLink(イフリンク)プラットフォーム」である。これはモジュール化された様々なIoT機器やWebサービスを組み合わせることで、新たなIoT製品・サービスをスピーディに創り出すことができる、オープンなIoTプラットフォームだ。

 このifLinkプラットフォームをベースに、誰でもIoTが使える“オープンなIoT市場”を共創する場として東芝を含む複数の企業が独立法人として設立を手掛けた「一般社団法人ifLinkオープンコミュニティ」には企業、教育機関など150社以上(2024年2月時点)が参画する。「社内/社外のつながりを広げ、ビジネスモデル創造の可能性を追求しています」(月野氏)。

 こうした社内外の活動から生まれたアイデアの中で、実現可能性の高いものは事業化を目指す。「アイデアをアイデアで終わらせることなく、実効的なプロジェクトの育成・事業化まで後押ししているのです」と月野氏は語る。

長年培ったドメインナレッジとデジタル技術で
社会課題の解決やビジネス変革に貢献

 東芝は社会インフラ、エネルギー領域、電子デバイス、デジタルソリューションなど多様な事業を展開している。その中で培った幅広い業種・業態に精通したドメインナレッジは大きな強みだ。東芝デジタルソリューションズは、それにデジタル技術やデジタル人材を掛け合わせることで、企業のイノベーションや社会課題の解決に貢献する多くのソリューションを開発し世に送り出している。

 社会インフラ領域での知見にAI技術を掛け合わせて提供するソリューションの1つが、AIによる高速道路などの路面変状検知だ。点検用車両が走るだけで、AIが路面画像からリアルタイムに変状を検知し、補修の緊急度が高いポットホールなどの補修個所を把握できる。東芝独自の「弱教師学習を用いた路面変状検知AI」により専門知識が無くても教師データを簡便に短時間で準備でき、業務知識を持つ点検員などが自ら教師データを作成してAIの高精度化をはかることもできる。

 中日本地域の高速道路などを管理運営するNEXCO中日本と、このAIを活用した共同実証に取り組み、補修点検作業の安全性と効率が飛躍的に向上することを確認した。社会インフラの急速な老朽化が懸念される一方で、少子高齢化による労働力人口の減少でインフラを支える人材不足が深刻化する中、顧客企業と共にAI技術の活用によるインフラ点検業務の高度化への取り組みを加速しているわけだ。

 「長年にわたって培ってきたドメインナレッジと確かな技術力があるから、お客様のビジネス変革を支援できるのです」と月野氏は強みを述べる。

異業種企業との共創やエコシステムの構築で
新事業や新サービスを創出

 DXの取り組みによる新たな事業、サービスの創出でも実績をあげつつある。“空の見える化”に挑む「気象データサービス」はその1つだ。東芝が長年気象レーダシステム事業で培ってきたデータ解析技術により、気象レーダがセンシングした観測データをリアルタイムに解析し、極めて高精度に気象状況を予測することができる(図2)。「河川の氾濫、アンダーパスや地下街などの冠水リスクを事前に把握し、避難や通行止めなどの対策を打つことで、災害を未然に防ぐことができます。降雨だけでなく、局地的な降雹(ひょう)の予測も可能です」と月野氏は語る。

雨雲の成長過程をレーダで詳細に実測し、過去データの解析結果を加味することで、30分先までの高精度な降雨予測を実現した。降雨エリアや降雨強度の予測は実観測とほぼ同等であることが分かる

 降雹予測では三井住友海上との共創により、自動車保険契約者・火災保険契約者向けに雹災アラートの実証実験を実施した。降雹の予測を検知し、被害が予想されるエリアの保険加入者にアラートメールを配信する。保険加入者は事前対策を講じることで、降雹による車両などの損傷を防げる。実証の結果を受け、三井住友海上は新サービスとしての提供を検討している。

 従来からの顧客企業向けのソリューション提供だけでなく、さまざまな企業をつなぐプラットフォームによる新たなサービス創出にも取り組んでいる。それがサプライチェーン・プラットフォーム「Meister SRMポータル」だ(図3)。ものづくり企業をつなげ相互の情報共有・コミュニケーションを促進するポータルサイトを介して、サプライチェーンを横断した新たな価値提供を可能にしている。「企業同士のつながりを構築することで、サプライチェーンの強靭化・高度化を実現でき、事業環境の変化やリスク発生時にも迅速に対応できるようになります」(月野氏)。

1次サプライヤーだけでなく、2次以降のサプライヤーを含めたサプライチェーン・ネットワークを見える化し、災害時の生産停止リスクやカーボンニュートラルの対応状況などの把握が可能になる

量子技術で未来の産業を創出し
デジタルエコノミーの発展をめざす

 東芝の描く変革と社会価値創造のアプローチはDE、DXに留まらない。その先のデジタルエコノミーの実現も射程に収めている。重要なキーワードが「QX(Quantum Transformation)」、すなわち量子産業の創出である(図4)。

ビジネスを止めることなくDEによる業務のデジタル化を促進し、デジタルとデータの力でDXを実現する。さらに量子技術の産業活用により新たな社会価値を創造し、デジタルエコノミーを進化・発展させていく

 量子コンピュータは現在のスーパーコンピュータをはるかに凌ぐ超高速・大規模なデータ処理が可能になる次世代技術。東芝は30年以上前から量子技術の研究開発とその事業化に向けた活動を進めている。

 中でも力を入れているのが、量子暗号通信だ。理論上、解読不可能な超セキュアで高信頼の通信が可能になる。この実現に向けて積極的に投資を行っているほか、2021年9月に量子技術の産業応用を促進するために設立された「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)」に参画している。Q-STARには多数のユーザー企業を含む84社が加盟している(2024年1月現在)。

 「こうした枠組みを軸として、多様な企業・組織との共創で量子技術の事業化を目指しています。東芝では、量子暗号通信とともに、量子コンピュータの研究から生まれた東芝独自のアルゴリズムにより、組合せ最適化問題を高速、大規模で解くことができる量子インスパイアード最適化ソリューション「SQBM+」も提供しており、株式市場における高速高頻度取引への適用や、計算創薬、エネルギーマネージメントなどに貢献できる」と月野氏は期待を込める。

 DE、DX、その先のQXの実現に向けて、欠かせないのがデータである。「当社の“デジタル”技術と、多様な産業領域での長年にわたる知見やノウハウを蓄積した“フィジカル”を連携した“サイバー・フィジカルシステム”で、データを循環させ、新たな価値を生み出せることは東芝グループの大きな強み。今後もこの強みを生かしてデータの力を最大限に引き出すソリューションを数多く提供し、東芝の経営理念である“人と、地球の、明日のために。”、持続可能な世界の実現への貢献を目指していきます」と月野氏は語る。

 今後も、東芝デジタルソリューションズは自らの変革と多くのパートナーとの共創を価値に変え、企業や社会の持続的な発展とデジタルによる新たな未来の創造に向け挑戦を続けていく考えだ。

記事内における数値データ、社名、組織名、役職などは取材時のものです(2024年1月)。
この記事は日経クロステックSpecial(製造)に2024年3月6日から3月29日まで掲載されたものです。
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