デジタルで豊かな社会の実現を目指す東芝デジタルソリューションズグループの
最新のデジタル技術とソリューションをお届けします。

これからの社会や生活はよりネットワークに依存する時代となり、あらゆる情報を迅速かつ安全に送ることが求められます。一方で、圧倒的な計算能力を持つ量子コンピューターの登場により、暗号通信の安全性が脅かされつつあります。安全な暗号通信を行うために期待されているのが、量子力学の原理に基づき情報理論的に絶対に破られない「量子暗号通信」です。東芝は、量子暗号通信の高速化や安定化を図る独自の技術開発を行い、世界をリードしています。この量子暗号通信技術について、複数回にわたり解説してきました。

最終回となる第4回では、今後到来する量子コンピューターや量子インターネットの時代を見据えて進化する量子暗号通信技術の中から、量子暗号通信を長距離化する「Twin Field QKD技術」と、量子鍵配送装置を小型化する「チップベースQKD技術」を、そして将来、量子ネットワークとして実現が期待される「量子インターネットの動向」について解説します。


量子コンピューター時代のセキュリティ技術


社会を大きく変える技術のひとつとして、量子コンピューターや量子センサーといった量子デバイス同士を接続して、それらが持つ能力を有効に発揮できる量子ネットワークである「量子インターネット」が注目されています。この技術の活用により、複数台の量子コンピューターを相互に接続して処理を分散することで発揮される圧倒的な計算能力や、そこに量子センサーなどを連携した多様なアプリケーションやシステムの実現が期待されています。

また、スマートフォンやパソコン、スーパーコンピューター、さらにはセンサーをはじめとするIoTデバイスなどのさまざまな機器が接続されている既存のインターネットでは、量子コンピューターや量子センサーが入出力する量子状態(量子ビット)を送れないためにデジタルデータに変換する必要があるという性能上の影響を受け、量子コンピューティングの十分な効果が得られません。そこで量子コンピューターや量子センサーが持つ能力を有効に発揮できる量子インターネットの実現が目指されています。実際に、量子インターネットのアーキテクチャーやユースケースが標準化団体で議論されるなど、今まさに量子インターネットの黎明期ともいえるのです。

ただし、量子コンピューターの実現は、その驚異的な計算能力が期待される一方で、サイバーセキュリティー上の脅威となる懸念があります。第1回で解説したように、現在使われている暗号を、量子コンピューターが瞬時に解読できてしまう可能性があることがわかってきたからです。そのため、今後どれほど高速なコンピューターが登場しても、暗号鍵が通信の途中で盗聴者に漏れることなく、安全に届けられる新しい技術が必要となりました。そこで注目されているのが「量子暗号通信」であり、これは量子コンピューターの時代に重要なセキュリティ技術のひとつです。


将来の量子暗号通信技術


東芝の量子暗号通信技術は、「高速性」「安定性」「通信インフラ親和性」「相互運用性」が特徴です。連載の第2回では、量子暗号通信技術をさらに高信頼かつ使いやすくするために、秘匿性の高いデータを膨大に扱うための「高速化」や、暗号鍵情報をのせた非常に微弱な光子を無事に送り届けるための「安定化」が必要なことを解説しました。東芝はこれらの技術に加え、量子鍵配送(QKD:Quantum Key Distribution)システムの中継点を極力減らして安全性を高める「長距離化技術」や、量子暗号通信をより身近な場所で使いやすくするために装置の「小型化技術」の開発に取り組んでいます。

QKDが量子暗号鍵を配送できる距離は、従来の技術では1リンクあたり最大100~200kmでした。これは、光ファイバー上で光子が減衰するという物理的な制約によるものです。この制約により、1リンクでの限界を越えた長い距離で量子暗号通信を行う場合は、信頼性の高い拠点で中継する必要がありました。

そこで東芝は、これまで配送可能だった通信範囲を大きく超えるQKDの長距離化を目指し、「Twin Field QKD技術」や「衛星QKDシステム」の研究開発に取り組んでいます。1リンクあたりの距離を延ばすことで、高信頼な拠点の数が最小化され、安全性のさらなる向上につながります。

また、量子鍵配送装置の小型化に向けては、「チップベースQKD技術」の開発に取り組んでいます。この技術は、これまで複数の部品を組み合わせて実現していた機能を、極めて小さな半導体(チップ)に集積する実装技術です。複数の部品からチップの搭載に変わるため、非常にコンパクトな装置で量子暗号通信が行えるようになります。

長距離化と小型化の技術を、詳しく説明していきます。


量子暗号通信の長距離化技術


東芝は、QKDの新しいプロトコルを考案し、光ファイバーを使った量子暗号通信でこのプロトコルを用いた場合に、600kmを超える距離においても暗号鍵の共有が可能なことを示しました(*1)(*2)。これは、暗号鍵の送受信を行う両端の拠点から送信した光子を中央の拠点で検出する仕組みで、中継せずに行えるQKDの範囲を拡大した東芝独自の技術です。「Twin Field QKD」と呼んでいます。

Twin Field QKDを実行する手順について、説明します(図1)。

  1. AliceとBobはそれぞれ、1つの信号パルスに以下の3つのランダムな情報をのせてCharlieに向かって送信します。このとき、AliceとBobが選んだ基底とランダム位相が偶然一致した信号パルス対を「ツイン」と呼び、このツインの場合のみ検出結果を量子暗号通信に使用します。
    ・ビット情報
    ・基底情報
    ・ランダム位相
  2. Charlieに到達した信号パルス対は、検出器1または2で検出されます。ツインの場合、AliceとBobが送信したビット情報によって、以下のように検出されます。
    ・ビット情報が一致した場合:「検出器1」で検出
    ・ビット情報が不一致の場合:「検出器2」で検出
  3. Charlieはツインが検出された検出器を、量子通信路ではなく古典通信路を使ってAliceとBobに伝えます。
  4. AliceとBobは、手順1で選んだ基底とランダム位相の情報を互いに古典通信路を使って伝え、それぞれツインと判定したデータだけを残してそれ以外のデータは捨てます。これにより、非公開である相手のビット情報を得ることができます(図1左下の対応表を参照)。

このようにして共有したビット情報群をデータの暗号化に用い、量子暗号通信を行います。なお、Charlieは検出結果を知ることはできますが、ビット情報(つまり暗号鍵)を知ることはできないため、万が一、Charlieが持つデータを盗まれても、暗号鍵が漏れることはありません。

Twin Field QKDは,両端の拠点にいるAliceとBobが中間点(Charlie)へ向けて信号パルスを送り、Charlieが1個の光子を検出する構成です。そのため例えば、光源から検出器までの距離を「L」とすると、従来の一方向型では全体の通信距離がLとなるのに対し、同じ鍵生成速度で比較したTwin Field QKDでは、Charlieを中間点としたAliceからBobまでの通信距離、すなわち、従来の2倍(2L)が全体の通信距離となることから、QKDの大幅な長距離化を実現可能になります(*3)。

東芝は、将来の量子鍵配送システムとして、地球上さらには宇宙空間の通信を含めたNTN(Non-Terrestrial Network)での量子暗号通信を実現可能にするため、衛星QKDシステム(以下、衛星QKD)の実現に向けた要素技術の研究開発にも携わっています。衛星QKDの実現に必要な技術として、宇宙空間で放射線や熱の影響に耐えられる送信機や、送信機からの微弱な光を受信する受信機、そして衛星QKDと地上の量子鍵配送ネットワークとの統合運用が挙げられます。今後これらの技術開発にも取り組み、1リンクで数万kmにおよぶ”超”長距離化を実現可能とする技術の蓄積を目指していきます(*4)。


量子暗号通信用デバイスの小型化技術


量子暗号通信をコンパクトな装置で行うことを目指して開発している、チップベースQKD技術について説明します。

東芝では、これまで複数の部品により実現していた「送信器」「受信器」「量子乱数発生器」が持つ光学部品によって実現されていた機能を、量子技術と光デバイス技術、電子デバイス技術の融合、そして光集積回路技術によってそれぞれチップ化しました(図2)。そしてこれら3つのチップ(QKDチップ)と10kmに及ぶ光ファイバーを用いた実証実験において、5.5日間の連続動作と470kbpsの量子鍵配送速度を確認しました。これは、ビデオ通話が可能なレベルの性能に相当します(*5)。

東芝が開発したQKDチップの特徴を説明します(図3)。

図中のaは、送信側のQKDチップ(QTxチップ)です。以下の2つのレーザーおよび可変光減衰器(VOA)と電界吸収型光変調器(EAM)を備えています。

・プライマリレーザー:位相変調された長い光パルスを生成
・セカンダリレーザー:自然発生する放射ノイズを使って、ランダムな位相を持つ短いパルスを生成

QTxチップは、自然に発生する放射ノイズを使うことで、新たな位相変調器や乱数発生器が不要になります。また、マッハツェンダ変調器(4~5mm)よりも小さいEAM(約0.3mm)を用い、1mm×6mmという大きさのQTxチップを実現可能にしました。

図中のbは、受信側のQKDチップ(QRxチップ)です。このチップは、マッハツェンダ干渉計(MZI)やディレイライン、位相変調器を備えています。QRxチップは、余分なロスや温度の影響を制御することで、挿入の損失を他のQRxチップよりも低い4.5dBに抑えています(*5)。

さらに、これらのチップを搭載したQKD装置(図2)と、鍵蒸留処理と呼ばれるデジタル情報処理を高速に実行するDSP(Digital Signal Processing)モジュールを組み合わせ、チップベース量子暗号通信システムの装置の研究開発にも取り組んでいます。


量子インターネットに適用可能な量子通信技術


第3回で解説したように、量子鍵配送ネットワークの標準化が国際的に進められていますが、それ以外にも、インターネットの国際標準化団体「IETF」の姉妹団体「IRTF」における「QIRG(Quantum Internet Research Group)」(*6)では、「量子インターネットアーキテクチャ」や「量子インターネットユースケース」の議論が始まっています。さらに、「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)」の量子技術と産業創出をつなぐロードマップ「QRAMI(Quantum Reference Architecture Model for Industrialization、量子技術にフォーカスして整理された産業化リファレンス・アーキテクチャ・モデル)」には、量子通信に関連するさまざまな技術が盛り込まれています。

このような活動も後押しし、量子ネットワークで量子状態を遠くに届ける「量子中継技術」や、量子中継を実現するための「量子もつれ生成技術」と「量子テレポーテーション技術」、さらには量子状態を一時的に保存するための「量子メモリ技術」、量子ネットワークに接続するための「量子インターフェース技術」といったさまざまな技術の研究が、世界中で盛んに進められているのです。

将来、量子インターネットの実現を可能にするには、現在のインターネットを支えるICTに加えて、さまざまな量子通信技術が必要となります。そのような中、量子暗号通信の実現は、量子インターネットを構築する最初の段階に位置付けられています(*7)。

量子暗号通信と量子インターネット、現在のインターネットの関係をイメージで示します(図4)。「インターネット」はデジタルデータを伝えるのに対し、「量子インターネット」は量子状態を伝えるネットワークです。量子インターネットは、量子暗号通信技術を発展させ、量子コンピューターや量子センサーなどを量子中継技術でつなぎ、インターネットと並行して利用・運用されるネットワークだと想定されています(*8)。

量子暗号通信技術は、量子コンピューターの脅威に対抗する強固なセキュリティ技術として、利用と発展が続けられていくでしょう。そしてこれを基にした技術が、量子中継技術をはじめとする量子通信技術、さらには量子インターネット技術へと進化していきます。

東芝では、量子もつれ生成技術や量子中継技術など、量子インターネットに適用できる多くの技術を保有・創出することに取り組んでいます。今後も、このような量子暗号通信や量子中継に関する技術の研究開発や標準化を通して、量子インターネットの実現に貢献していきます。

全4回を通して、東芝の量子暗号通信技術と将来の量子通信技術について解説しました。東芝は、量子暗号通信技術を医療や産業、金融などのさまざまな分野へ適用し、国内外で実証実験を行ってきました。これからも、世界で最先端の技術開発や実証実験を進め、ネットワーク社会のセキュリティを支える技術を次々と創出して、お客さまに充実したサービスをお届けしていきます。

 


参考文献
*1 M. Lucamarini, et al., “Overcoming the rate-distance limit of quantum key distribution without quantum repeaters”, Nature, vol 557, pp. 400-403, 2018
https://www.nature.com/articles/s41586-018-0066-6

*2 電子情報通信学会ニュース解説「世界最長500km以上の量子鍵配送が可能となる新たな方式を開発」電子情報通信学会会誌 Vol. 101 No.12 (2018/12)
https://app.journal.ieice.org/trial/101_12/k101_12_1225/index.html

*3 Mirko Pittaluga et al., “600-km repeater-like quantum communications with dual-band stabilization”,
Nature Photonics volume 15, pages530–535, 2021
https://www.nature.com/articles/s41566-021-00811-0

*4 A. Mamiya et al., “Satellite-based QKD for Global Quantum Cryptographic Network Construction”,
IEEE International Conference on Space Optical Systems and Applications, IEEE, Mar. 2022
https://ieeexplore.ieee.org/document/9749727
https://www.soumu.go.jp/main_content/000745825.pdf(380KB)

*5 Taofiq K. Paraïso et al., “A photonic integrated quantum secure communication system”, Nature Photonics volume 15, pages850–856, 2021
https://www.nature.com/articles/s41566-021-00873-0
https://www.global.toshiba/jp/technology/corporate/rdc/rd/topics/21/2110-01.html

*6 Quantum Internet Research Group (QIRG)
https://irtf.org/qirg

*7 S. Wehner et al., “QUANTUM INTERNET: A VISION FOR THE ROAD AHEAD,”
SCIENCE, VOL. 362, NO. 6412, 2018
https://www.science.org/doi/10.1126/science.aam9288

*8 Jessica Illiano et al., “Quantum Internet Protocol Stack: a Comprehensive Survey”,arXiv, 22 Feb. 2022
https://arxiv.org/abs/2202.10894

謝辞
本成果の一部はHorizon 2020プロジェクトOpenQKDを通じてEUの支援を受けています。
本研究開発の一部は、総務省・ICT重点技術の研究開発プロジェクト「グローバル量子暗号通信網構築のための衛星量子暗号技術の研究開発」(JPJ010277)によって実施しています。
本成果の一部は、英国政府のIndustrial Strategy Challenge Fundを通じてInnovateUK共同研究開発プロジェクトAQuaSeCの支援を受けています。
この成果の一部は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託業務の結果得られたものです。

米良 恵介(MERA Keisuke)

株式会社 東芝  研究開発センター 情報通信プラットフォーム研究所
コンピュータ&ネットワークシステムラボラトリー  研究主務


東芝に入社後、インターネットの国際標準であるIPv6の技術開発や、電力・ビル向け通信システムの研究開発を経て、現在は、量子通信技術の研究開発に取り組んでいる。

  • この記事に掲載の、社名、部署名、役職名などは、2022年7月現在のものです。

>> 関連情報

関連記事